2014年6月15日日曜日

オリジナルマトリックス 原初基盤① あなたは世界に一人しかいない。

だんだん夏らしい季節になってきましたね。
そろそろ花火大会の季節です。横浜の花火大会では、中満整体から少し歩いた山側に行くと花火が見えます。よかったら整体の帰りに花火見学はいかがですか?

久しぶりのブログのアップですが、以前にアップした記事を、読みやすく修正し、再度アップしました。
2013年7月くらいから10月にかけて卒業論文を集中的に書いていたので、以前のブログは、それにつられて、とても理屈っぽい文章になってしまっていましたね。
去年の後半、論文完成までは、気が狂うほど、毎日、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスとは、何なんだろう?
と、思いつめていましたもので・・・。

我ながら、読み返すのに苦労します。
2014年の初めの頃に書いた、オリジナルマトリックス・原初基盤についてのお話をなんとか読みやすく修正しましたので、どうか頑張って読んでくださいね。
私の昔話から、本題に入っています。

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私は、子供の頃から、人の真似をすることが大嫌いでした。

デザイン研究生だった頃は、特にひどく、

「コンテストに入賞できなくてもいい!仕事が決まらなくてもいい!しかし、それより何より、どれだけ自分が尊敬しているデザイナーであっても、真似る、パクルのだけは絶対に嫌だ!」

と思っていました。

そして、真似したくないという気持ちと同時に、絶対に、誰にも真似のできない自分自身の世界観を反映させた服作りができるデザイナーでありたいという目標も持っていました。
全く、若いとは素晴らしいですね(笑)お恥ずかしい限りです。

作品そのものをずばり同じ素材、色、形に真似をするのが嫌なのはもちろんのこと、一部を別の異なる表現に置き換えるパクリや、そのテーマ、コンセプトの側面からであっても、尊敬するデザイナーとであっても、類似したくはありませんでした。

特に、知名度があろうが無かろうが、デザイナーの名前や、ブランド名、ロゴが入った商品を持つのは、もっての他でした。

「私は私であって、私以外の誰でもない。」

こう思っていたのは、単に私が、生意気で、世間知らずの学生だったから、というだけではなく、

ファッションという一つの俗なる物の中に、未成熟ながらも、何かを探していたからなのかもしれません。

しかし、そんなに生意気なことを考えていたとしても、最終的には、とても尊敬しているデザイナーの作品を見て、感動しないわけがありません。
やはり、影響を受けるわけです。

そして、最終的には、目に見える、色や形の物理的なパクリではなく、そのコンセプトやその美学を私なりに理解しながら消化して、私自身の手から、また形として産み出すという作業をすることになるのです。その産み出された形は、元の形を完全に逸脱しており、それは、単純なるパクリではないのです。

なぜならば、そこには、表面的な形を越えて、共鳴、共感の元に、私というフィルターを通した再具現化が起きているからです。

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そんな生意気な私も、ファッションデザイナーとして、一企業にて働くことになりました。企業での新入社員1年生のころです。
ある日、先輩がパタンナーと呼ばれる型紙を作る専門の方に、売れ筋の商品を持っていき「これ、どんずばで抜いて!」とおっしゃったのを耳にしました。
耳慣れない表現でしたが、何のことだか、すぐにわかりました。
この売れ筋の商品の型紙を、くり抜くかのごとく、作って欲しいという意味です。
つまり、売り上げをとるために、同じ、または類似した商品を作るということです。

今となれば、売り上げは大切だと理解できます。企業デザイナーは、芸術家はありません。会社には予算があり、それを達成するための努力は給与を頂いているなら当然です。
しかし、私はついこの間まで、世間知らずの生意気な学生だったのです。
私は、こんなことをするために、デザイナーになったんじゃない。
そう思いながら、就職後、葛藤と共に、何をどうしたいのか、何が不満なのか。
混乱しながら、一つの見つけ出すことが出来ない探し物を、探し始めていたわけです。

真似、パクル事の現実的な例を、挙げるのであれば、たとえば、海外旅行でルイヴィトンやプラダなどの、大御所ブランドの模倣品を現地で購入し、それを持って入国しようとする。
それは、残念ながら犯罪になってしまいます。
関税法で、商標権を侵害する物品の輸入は犯罪と定められているのです。

企業も、自動車や家電からファッションまで、あらゆる分野において様々なブランドがあり、何らかのメッセージを発信していますが、独自のブランドアイディンティティを通した物作りではなく、他社の売れ筋をパクり、付け焼き刃のように目先の利益をもたらし続けたなら、ブランドイメージは、一貫性の無い何でも屋の状態に陥り、最終的には、利益をもたらさない可能性もあるので、人のふんどしで相撲をとるという歪んだ「型」へ代償は、大きいものとなると思います。

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思いおこせば、80年代は、アバンギャルドの時代でした。

当時 Yoji Yamamoto, COMME des GARÇONSの川久保玲, Issei Miyakeなど、日本人デザイナー達は、ヨーロッパ人の度肝を抜き、これまでのヨーロッパエレガンスの中に新たなる日本の美を持って、独自のポジションを築くことになったのでした。

デザイン研究生が、それに影響を受けないわけがありません。

前例の無いもの。それを打ち出してしまった。ヨーロッパの伝統が、びっくり仰天してしまったかのような時代です。
そのような時代背景もあり、私たち研究生たちは、型にはまりたくないという反発心を持っていたのです。
たとえばテーラードジャケットは、ある日突然生まれたわけではなく、歴史と共に、進化の果てにテーラードジャケットという一つの名称がうまれ、その名称から万人が理解できる共通の認識を持つことができるのです。それは、立派な伝統であり、ほぼ消えるこの無い文化の一部です。

しかし、なんといっても、アバンギャルドの時代です。

前例を打ち破り、新しいものを作りたい、前代未聞な物を生み出したいときているわけですから、伝統的なテーラードジャケットをどのように仕立てたら美しいだろう…。
当時の私にとっては、伝統(traditionalトラディショナル)保守(conservative コンサバティヴ)という言葉は、前例を打ち破ることが出来ない、単なるネガティブな言葉でしかありませんでした。

しかし、型破りを目指そうが、企業の利益のために、売れ筋商品をパクろうが、私は結局、子供の頃から探していた探し物を、結局みつける事はできませんでした。

私は、真似することや、伝統、保守を毛嫌いしながら、一体、何を探していたのでしょうか。

たどり着くことができなかった宿題を残したまま、その後、私は東洋医学の道へと進むことになりました。

そして、やがて、2002年を向かえ、宿題の答えを探し当てたかのごとく、私はようやく、クラニオセイクラルと出逢うことができたのです。

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クラニオセイクラルの学びの中で、 Original matrixオリジナル・マトリックス、原初基盤という言葉があります。

一見、難しいサイエンスの用語のように聞こえますが、私の理解をシンプルに書くならば、
「ひまわりの種から、朝顔が咲かないように、その命の固有の基盤がある。」
ということができるでしょう。

植物とおなじように、全て人類も、おそらくほぼ例外なく、全身に赤い血が流れて、酸素や栄養分が分配されるというような、機能的な意味での原初基盤があるでしょうし、

また、同じ民族でも、兄弟であっても、全く同じ顔をした人がいないように、その人それぞれに、唯一の原初基盤があるということもできます。

つまり、人それぞれは、唯一の存在であって、同じ人は一人もいないという言い方もできるでしょう。

primary respirationプライマリー・レスピレーション、原初の呼吸という言葉も以前の記事、原初の呼吸①にて、ご紹介しました。

私がヨガのポーズ、(アーサナ)をとるときに、古代人によって発見されたヨガのポーズを、私自身が、パクっているでしょうか?
答えは、バカバカしい程明らかにNoです。
私が、中国の国宝レベルの書家の作品を臨書して、原初の呼吸を感じているときに、私は、盗作しようとしているでしょうか?
答えは勿論Noです。

むしろ、これらの人類の財産である、ヨガ、臨書を通して、ある型に自分自身を当てはめ、それを何度も何度も繰り返すことによって、原初の呼吸につながることができるわけです。原初の呼吸とは、その名前の通り、もともと命が授かったときから始まっているものなのです。

つまり、原初の呼吸とは、原初基盤、オリジナルマトリックスに私を思い出させてくれるための、ゲートウェイなのです。

私が、デザイン研究生時代に、自分の作品に思いを込め、自分でありたいという願いをこめていたのなら、私は、どこか他にあるわけでもない、自分自身の原初基盤を探していたのかもしれません。
それを探すために、必死に作品を作っていたのでしょう。
いつか、原初基盤が目の前に現われると信じて。

まだ、自分自身がわからないからこそ、自分自身にこだわって、尊敬するデザイナーの真似をしたくないなどと躍起になっていたのかもしれません。

自分自身がわからないというより、自分自身を思い出せなかったという言い方のほうが正しいかもしれません。つまり、原初基盤とは、発生の段階、胎児にもなっていない段階で存在していたし、そのことをはっきりと思い出すことが出来なかったからこそ、探していたわけです。

尊敬するデザイナーの作品を自分の内側で消化し、そこから学び新たな創造が生まれる時、私は、尊敬するデザイナーの作品から、デザイナー自身の原初基盤へと想いを馳せていたのです。そこには、表面的なレベルでの作品のパクリを超えた、深い尊敬や共振、共感があります。

今となれば、様々な経験を通して、人は誰一人として、同じ人はいないというシンプルな事実を受け入れることが出来ます。同じ親から生まれても、性別や顔が違うように、命は、固有の原初基盤によって支えられています。

しかし、リソース資源①、リソース資源②でもご紹介しましたように、私たち人間は、ソースsource源泉からre離れてしまっている以上、それを時々思い出す必要があるのです。
それを思い出すために、型を何度も繰り返しながら、primary respirationプライマリー・レスピレーション、原初の呼吸とつながり、そして、自分という存在の原初基盤に近づくことが出来るのです。

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修正版をお読みくださってありがとうございました。
またのご訪問を心よりお待ちしております。

中満整体