2018年6月20日水曜日

母の記憶より。戦前、戦中、戦後の人々の健康を支えた薬草療法家、横須賀のわかさん

子供の頃からよく、戦前生まれの両親から、
戦前、戦中、戦後の医療を含む、
時代背景について、聞いていました。



この仕事をするようになってからも、
特に、母から、むかし話のように、
度々、昔の医療について、聞いてはいましたが、



この、ご時世になってきて、
母から聞いた、その話を思い出すたびに、




私は、自分が、その時代に生きていたら、
本当に、時代にマッチしたセラピストだったんだろうな。と思い、



日本国という、ひとつの国の中で、
常識、当たり前が、急速に、
どんどん変わっていった時代を知る母の話から、



医療は、人々にとって、どういう位置にあったのか、
そして、日本は、何を失って、何を得たのか、
私が思うことをお伝えしたいと思います。



***** 母の記憶にある、わかさんという、代替医療家 *****



母方系の家族は、終戦後
おそらく、昭和30年代前半ころまで
家族の誰かが、体調不良になると、
わかさんという、代替医療家の元を訪れていたそうです。



現在、神奈川県横須賀市にある
県立大学という京浜急行線の駅は、


私が子供のころは、
京浜安浦駅という名前で、


母が子供のころは
京浜久郷駅という名前でした。



母の記憶と共に、辿りますと、
この京浜久郷駅から、
現在の、横須賀市立うままち病院に向かって歩いていくと
わかさんの元にたどり着いたそうです。



その、横須賀市立うわまち病院も
現在病院ですが、
明治の当時は、富国強兵の波もあってか
医務室を併設した、陸軍の駐屯地であったそうで、



敗戦後、昭和20年に、陸軍省から、厚生省に移管し、
国立横須賀病院になったそうです。



母の記憶では、
その病院の名前は、
国立横須賀病院という名前のままです。



戦前、戦中、戦後は、医師の数がとても少なく、
多くの方が、わかさんの元を訪ねては、
どのようにケアーしたらよいかを聞き、
多くの方にとって、代替医療が、当たり前の時代であったそうです。



そして、



驚くことに、わかさんは、
対価を請求していなかったそうです。



母の記憶によると、
おそらく、お気持ちで、その訪れる方にできる範囲でお包みして
支払っていたのではないかとのことでした。



そして、母の遠い、遠い、親戚にあたる方だとも言っていました。
母の祖父母の兄弟の・・・・というくらい、遠縁の方。



そして、そのわかさんが、伝えていたケアーの内容が
すごい!
すごすぎるんです!



***** わかさんの薬草療法 *****



私の祖父は、
私が生れる1か月ほど前に他界しており
これも、母から聞いた話ですが、



祖父は、頻尿で悩んでいたころ
わかさんの元を訪ね、
アケビの皮を煎じて飲みなさいと言われ、
それをやったら、ピタッと、頻尿が治ったそうなんです。






漢方の考え方だと、
その方の状況によって、気虚なのか、於血なのか等で
処方が変わるので、
全ての、頻尿の方が、一概に、同じやり方で解決するのかどうかはわかりません。



しかし、私が、一番、感動したのは、



アケビという
自然の中にある草や実で、



人の身体は、十分に、癒されるということなんです。




さらに、別の方の症例で、
わかさんは、ひざに痛みがある方に、
捻挫なのか、水がたまったのか、痛みの背景については、全くわかりませんが、
麦を煎じて、麦茶を飲みなさいとアドバイスされ、
そして、ひざの痛みは、改善されたそうです。



今でこそ、麦茶と言えば、あの夏になるとスーパーにたくさん売っているやつでしょ。
と思うでしょうが、
当時は、入手困難だったそうです。



私が思うには、今の麦は、品種改良、農薬、化学肥料での栽培、
下手すれば、遺伝子組み換えされている等の背景もあり、
当時の、麦茶とは、全く違うものだと思っています。



***** わかさんと、私の共通点 *****



わかさんは、薬草療法家であり、代替医療家であり、
私は、手技療法家であって、薬草などは、使いませんが、
私は、わかさんとの間に、共通点があると思っています。




母の記憶では、わかさんは、アドバイス以外にも
白い着物を来て、数珠のようなものを持ち、
なにか、お祈りのようなこともされていたようですが、




薬草療法であれ、お祈りであれ、
クラニオセイクラルであれ、
あらゆる代替医療には、共通点があります。




それは、人は、自然の力で癒され

自分自身の内側に、大自然からの恵み、


自然治癒力が備わっている。


それを、上手に活かしていく事で、


癒しは、自然に起こりうる




という考えです。



わかさんのような、薬草療法家は、昔、あらゆる地域にたくさんいらしたそうです。



私の祖父も、「わかさんが死んじゃったら、もったいないなぁ」
と言っていたそうですが、



今、時代は、21世紀、
当時とは、背景が異なります。



戦後、国民の食の安全を守るために成立した、
種子法は、先日、消滅し、
植物のみならず、畜産物までもが薬漬けで、
すでに、自然の産物とは言い難い状況です。



今、その薬草療法家の智慧が、どこかで、受け継がれているとしたら、



やはり、自然の草木の中から、薬草になってくれる草木を採取できるという条件は、
時代が変わるにつれて、厳しいものになってくるのではないでしょうか。



身土不二

身体と、生まれ育った大地は、

二つに分けられない



という考えを思ってみても、



中国から輸入した生薬(漢方の原料)より
自分が住んでいる地域で採取した草木の方が、
どれだけ、自分を癒すか計り知れないでしょう。



しかし、



高速道路の出口付近であっても、雑草は逞しく生き延びていることは、ありますが、
それを、煎じ薬にする勇気は、とっても、ありませんので、
首都圏という環境では、なかなか、現代には反映できないことなのかもしれません。




そう考えますと、やはり、



私は、今の時代に生まれ



そして、手技療法に徹した、代替医療家で



良かったのかもしれません。




そして、食の安全が守られない現代であっても
その中で、
できることを探すということも
現代人の一つの課題かもしれません。




中満整体


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