一年とは、本当に早いなぁと、感じてしまう今日この頃、
いかがおすごしですか?
今日は、中満整体が考える、スピリチュアルについて少し書いてみたいとと思います。
丁度、1990年になったばかりのころ
『聖なる予言』という本が翻訳され、身の周りで、話題になっていました。
その後、『神との対話』という本も続き、
当時、まだ、この整体の仕事に就いていませんでしたが、
Spiritual という言葉に、しっくりしたの覚えています。
その後、この身体の仕事に転身する中で、
このスピリチュアルの印象は、ずっと残っていました。
2000年を超えて、いや、もっともっと、2005年位でしょうか、
はじめて耳慣れない言葉を聞きました。
スピ系
スピ
スピリチュアルspiritualとは英語ですが、
スピ系やスピとは、外来語と日本語の省略になるのでしょうか??
その定義されているものが、
今までの自分自身の理解とは、大幅なずれがあり、
そのずれを感じれば感じるほど、
スピリチュアルspiritualという言葉を
容易に使えないと感じたものでした。
***** 身体とは、スピリットが宿る神殿です。 *****
ウエブサイトでも書いていますが、
身体を、肉体として扱うことに限界を感じ、
私は、身体に対して、スピリチュアルな見方をしはじめていたころ、
私は、ついに、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスにようやくたどり着きました。
そして、私が探していたものは、これだったんだ!
とすぐにわかりました。
身体と、心と、スピリットの
それぞれの軸が、同時に存在し、
それらを、身体から、
同時に扱うことができるワークだったからです。
図に書くとこんな感じです。
3つの軸が同時にここに存在しています。
学べば学ぶほど、身体というスピリチュアルな神殿に、感動したものです。
***** スピ系に起こりがちな、分離現象 *****
しかし、やがて、スピ系という言葉を聞くようになり、
その使われている文脈から判断してみると、
スピ系やスピとは、心と魂はつながっている。
しかし、身体に関しては管轄外なので、
くわしくは、医師にご相談ください。
のように、カラダだけ、分離しているような
まるで、全てバラバラな印象を受けました。
図にするとこんな感じです。
スピリチュアルなワーク、魂に働きかけるワークは、
十分、心に作用しますし、それと同時に、身体にも作用します。
身体に起きたことを、途中から医師に尋ねても、
医師のほうでも、魂は管轄外であって、
双方の丸投げ状態になるか
対症療法になるのであれば、
なんのためのワークだったのかと、
考えざるを得ません。
(対症療法をすればするほど、根本的治癒から遠ざかります。)
しかし、私も整体師でこそありますが、
私たちの誰もが
肉体という
重い制限された乗り物の中にいることが、
ふっと、苦しいことすらあるのです。
ふんわりと、身体の軸から
スピリチュアルの軸へと
外すことによって、
ある意味、身体と心は楽になります。
時に、ものすごーく、気持ちいいこともあります。
身体と魂や心は、分離し、切り離し、バラバラにすることで
痛みという現実から、
逃げることができます。
心と身体に、非常に大きな傷を負うと、
このような、分離が生じることは、珍しいことではありません。
さらに、瞑想といえば、非常に聞こえはいいですが、
瞑想をしているつもりで、
この分離を、無意識に、強めているケースも珍しくはありません。
***** 痛みや不快感も、大切な生命力 *****
クラニオセイクラル・バイオダイナミクスにおいて、
痛みや、不快感すらも、
私たちの大切な、生命力の一部だとみなします。
痛みや不快感を含んだ
本来の自分自身の生命力を
受け入れやすくし、
そして、これも大切な自分の生命力なんだと
認めて、統合するのをサポートします。
そして、これも大切な、
自分自身を愛するプロセスなのです。
そして、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスは
身体に触れるワークです。
身体は大いなる知恵を持っています。
不快ゆえに、一時的な楽、きもち良さを選び、
身体から、魂を分離させてしまったとしても、
身体は、それを統合する力を持っています。
そして、もう一度、統合されたときに、
痛みや不快さも、必要な生命力の経験だったと
腑に落ちるでしょう。
中満整体
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