クラニオセイクラルのセラピーをするプラクティショナーにとって、バウンダリーという概念は、セッションを与える側にとっても、受ける側にとっても大変重要であると私は感じています。
そしてまた、私たちがセッションの場から離れた、社会を生きる中での、特に、人間関係でのトラブルや、困難を回避するために、とても役に立つ考え方でもあると思い、ここにご紹介をさせていただきます。
バウンダリーとは、英語でboundaryと綴り、境界線という意味があります。
始めに、脳のしくみについて大まかではありますが、少しお話します。
まず、脳神経のうちの嗅神経は、とても原始的な感覚器官といわれており、私たち人間のみならず、動物たちにとっても同じように原始的な背景をもとに発達いたしました。
外敵は近くにいないかなどの危険を察知するために嗅覚を鋭敏にさせ、また、餌や獲物が新鮮であるかなど、生命を維持することに直結した情報を受け取るための器官です。
また、生殖をつかさどる匂いの物質、フェロモンを出して、異性を嗅覚を通して吸引するという動物を考えても、子孫を残すという生命の動物的本能を担う重要な役割を果たしています。
もう少し具体的にお話しますと、嗅神経の神経線維は脳の中心から両方の鼻の上部に向かって、2本横たわっています。
嗅神経から得た情報はそのまま、脳の中心である、大脳辺縁系と呼ばれる、原始的な脳に伝わります。
大脳辺縁系にある主な脳の器官として、海馬、扁桃体があります。
海馬は、記憶をつかさどり、扁桃体は情動をつかさどっています。
それらは嗅覚からの情報のみならず、大脳新皮質などその他の器官からも情報を得ています。
たとえば、嗅覚や大脳新皮質などからある情報が入ったとします。海馬はこれまでの記憶と照らし合わせて、自分の生命の維持に危険かどうかの判断をします。危険であれば、情動をつかさどる扁桃体がそれに反応し、怒りを示します。
さらにその情報が視床や、ホルモン系などを司る視床下部に伝わり、戦闘体性にすぐに入れるように、目は見開かれ、手は汗を握り、血圧や体温は上がるなどの身体反応が起きます。
つまり、私たち人間は、常に外敵からの安全を維持し、命を落とさないためにサバイバルが出来るような脳の仕組みを持っているのです。
大脳辺縁系は、原始の頃から、私たちが今生きる環境も発達をし続けています。
戦争や自然災害を乗り越えて、私たちの先祖から今日の私たちまで、命が続いていると考えますと、まさに幾多にもわたる困難を乗り越えて、今ここに命があるといっても過言ではないと思います。
先日、私はニュートラルである状態を維持する学びは生涯続くほど重要な意味合いがあるとブログにてお話させていただきました。
それほどまでにニュートラルの状態を維持することに努力や訓練を要する理由は、まさに次の内容にあります。
サバイバルをし続けた私たちは、今も、ここに生きて、同じようにサバイバルをしています。
今、現在、本当に危険であり、サバイバルの必要性がれば、危険な状態を回避するために、身体は戦闘体性に入るのですが、それは必要であるからこそ身体はその反応をします。
しかし、実は、危険ではないときにまで、脳は海馬にある過去からの情報に照らし合わせて、これは危険な状態であるというスイッチを入れてしまうことがあるということです。
今、現在の何らかの情報で、過去の危険な記憶が呼び起こされてしまうという仕組みなのですが、これは、
現在、事実において危険な状態であるのか?という問題ではなく、
脳が危険と判断したのか?という問題になってくるのです。
ここに、ニュートラル、中立性は無いと言うことになります。
海馬、扁桃体を含む脳の危険を察知する機能が働いたからこそ、私たちは今日ここに生きています。とても大切な脳の器官です。
しかし、誤作動が働いてしまうのは、それだけサバイバルが多くあったということでもありますし、困難や危険の記憶を含んだ海馬の記憶を癒すことによって、より、適切なときに、生存防衛機能を使用することができ、不必要な状態にスイッチを入れてしまうことを避けることが出来るとも考えられます。
同じ状況の中で、危険を察知し、防衛体制、戦闘体制に入る人もいれば、全く危険を感じない人もいます。
どちらかが良い、悪いという問題ではなく、脳の原始的な反応であっても、そこには個人差があると言うことができます。
つまり、目の前の現実をありのままに認識するということは、非常に困難なことであり、そこに関わる誰もが、おのおのの見方をしているのです。
もし、複数の人々が各自の海馬を含む脳のフィルターで現実を認識し、さらに、防衛体制、戦闘体制に入っている人が、そうでない人に影響を及ぼしたとしたら、二次的な影響を与えることになります。
バウンダリーの概念は、この時に活かされます。
まず、自分の反応を、無意識ではなく、自覚と意識を持って、認識をするのです。
この時点でニュートラルに近づくのですが、
そこからさらに、バウンダリーの概念を用いると、さらにクリアーなニュートラルに成っていきます。
自分のものと、自分以外の人のものとを境界線を持って、違うのだという認識を持つと言うことなのです。
自分の問題と、自分以外の問題。
自分の感情と、自分以外の人の感情。
ごちゃごちゃにならないように、分別をするのです。
そして、広い空間にいることをイメージするのです。
それは、境界線同士が重なり合わないくらい広い空間を想像することによって、安全な自分の領域を創造するのです。
怒っている人の話を聞いて、だんだんこちらも怒ってくるような場合があるとします。
たとえ自分の反応ではなくても、怒りという情動反応は、境界線が緩むことによって、自分のものなのか、他人のものなのかの分別がつかず、まさに巻き込まれてしまう状態を招く可能性も含んでいます。
それだけ、怒りの反応は、生命を脅かされるという恐怖に基づいた、多くの生命体がもつ原始的な感情であるのです。
共感できる能力は素晴らしく、人とのコミュニケーションをするにおいて、とても重要です。しかし、境界線を無くすということは、自分自身の安全な領域を無くすということにつながり、境界線がなくなるがゆえにサバイバルに巻き込まれていくということにもつながります。
これもまた人間関係が上手くいかなくなる大きな要因であり、人間関係からのストレスを抱える原因となります。
たとえば、誰かが目の前であなたに怒りをぶつけてきたとします。
その怒りは、誰かの怒りであって、あなたの怒りではないのです。
また、何らかの情報をもとに誰かの怒りのスイッチが入ったとしても、最終的には、海馬の記憶をはじめとしたフィルターにかけられながら情報が処理され、怒りの反応を示しているのです。このフィルターの構造については、少なくとも、あなたの責任ではありません。
表現された怒りに反応してしまった場合は、今、自分は表現された怒りに対して、反応をしているのだという自覚を持ち、意識的に自分の反応を捕らえることが出来れば、それは巻き込まれている状態から少し離れていると言うことができます。
サバイバルからの原始的な反応は、今日まで命をつないできた歴史があるので、サバイバルが過酷だった人ほど、強烈な反応を示すだろうと思われます。
バウンダリー境界線を持つ、そのシンプルなこころの作業をするだけで、状況も身体も変化します。誰かに巻き込まれる状態でもなく、自分が誰かに介入している状態でも在りません。手を加えて何かを変えようとする必要は全くありません。
何らかの感情的な反応や、身体的な反応があったとしても、意識的になることで、巻き込まれること無く、ニュートラルにたたずむことが出来ます。
ここに静かなるニュートラルの変容のポイントがあります。
繰り返しますが、何かを変えようと手を加える必要は全くありません。
自分のあり方を変えるだけで、自分に向けられ、また自分を取り囲んでいるエネルギーの状態が変化します。
まず、自分から始まるのです。
誰もがその変容の力を持っているのです。
ニュートラルに身を任せ、一切の計画や努力を一度放棄します。生命の英知に身を任せます。自分の変容は、自分とつながっている全ての関わりの変容のチャンスにつながります。
バウンダリーを意識するということは、距離をとる、空間を与えるという表現に変えることも出来ます。
それは、身体的に近い状態でも、距離をとることが出来ます。
誰かを避けたいがごとく、逃げるように距離をとるという意味ではなく、
まず、自分自身が広い場所に居るのだという意識を持つということでもあります。
クラニオセイクラルではイメージを頻繁に使う、創造的な療術であります。
空間認識を変えることで、意識と精神と身体は、大きな変化を経験するのです。
広い地平線や水平線をイメージするときに、その3つの側面で大きな変化を感じる方もいらっしゃるかもしれません。
広い空間認識はまた、狭い皮膚の内側に包まっている肉体より、さらに大きな空間を感じ、安心感や勇気、安らぎや落ち着きを感じることもあると思います。
訓練されたクラニオセイクラルのセラピストのセッションを受けながら、ある程度の身体の安定レベルまでの導入を手伝ってもらうのも良いかもしれません。
バウンダリーは、ニュートラルへの大きな入り口であり、
ニュートラルこそが、静かなる変容の場所であります。
また、機会があれば、今度は逆に、バウンダリー、境界線が溶けていくお話ができたらと思っています。
お読みくださってありがとうございました。
またのご訪問を心よりお待ちいたします。
中満整体
2013年2月17日日曜日
2013年2月15日金曜日
ニュートラル① 最も負荷のかからない静かな場所。そして、変容が起きる場所。
ニュートラルであることの大切さは、クラニオセイクラルの学びの初期の時点で教わります。しかし、ニュートラルである状態を体得し、深めていくための学びは、上級者になっても続き、さらには、生涯かけて深めていく学びと言っても過言ではないと思っています。
と申しますのは、このニュートラルは、心的な態度を表し、そして身体の在り方を表すとても奥の深い学びであると考えるためです。
日本国語辞典にて、ニュートラル中立の定義を調べてみました。
中立 どちらにも偏らないでその中間に立つこと。ある特定の思想・立場・意見などに偏らないで、中正の道に立つこと。
反対・敵対しているもののどちらの味方もしないこと。
クラニオセイクラルにおける用語として使われる、ニュートラルは、身体の状態を示すことが中心であります。しかし、この定義は、それを理解するための手がかりとなると思います。
もう少し、具体例を使って、このニュートラルについてのお話をしたいと思います。
たとえば、台風は、街の木々、家々を揺らし、時に壊してしまうくらいのエネルギーを持っていますが、その中心である部分は、とても静かであると言われています。
あれだけの威力を持った台風なので、中心が静かだとは、とても信じがたいのですが、この台風のようなエネルギーが、もし、身体の中にあるとしたら、大きな揺らぎを感じ、落ち着いた精神状態であることも困難と思われます。
クラニオセイクラルにおける、このニュートラルであることの体得とは、たとえ身体に台風のようなエネルギーを感じた時であっても、まず、その中心を見つけて、強い渦巻きの突風の中に決して巻き込まれること無く、静かな中心に居続けるという捕らえ方が出来ると思います。
身体がその状態になっているかの確認は、そのときの精神の状態を考えればすぐにわかる思います。
辞書にあった中立の状態、たとえば、
自分自身の内側にある特定の思想・立場・意見などに偏らないで、中正の道に立っているのか?
または、自身の内側に起きている葛藤などを含んだ、反対・敵対している感情のどちらにも偏らない状態であるのか?
これらを自分自身で考え、感じることで、中立の状態を維持しているかの確認がとれます。
そして、身体の状態は、台風が内側にあったとしてもニュートラルの状態に在ることが出来れば、心身ともに静かな状態でいられることがほとんどだと私は考えます。
それでは、なぜ、ニュートラルの状態にいることがそんなに大切なことなのでしょうか?
それは、ニュートラルであることは、最も負荷になるエネルギーがかかっていないため、変容がおこりやすいからです。
つまり、最も静かな場所で、変容がおきるのです。
クラニオセイクラルでは、このシンプルな原理や、万物の真理を組み合わせた療術と言うことができます。
しかしながら、言うは易く、行うは難しであります。
ニュートラルであることの素晴らしさは、この変容を経験し、初めて身体に馴染み、身体が覚え、それにつられて自分自身の精神や心が変化することが出来るところにあります。
このように私はニュートラルを学び、それを語っていますが、無意識的に、このニュートラルである状態に居ることが出来る方も多くいらっしゃると思われます。
身体を使った、伝統武術や、ヨガなどを志しておられる方や、そうでない方であっても、誰に教えてもらった訳でもないのに常にこの状態を維持しておられる方もいらっしゃいます。
しかし、私はそうではなく、クラニオセイクラルに出会って初めて、意識的に開発していきました。結果的には、ニュートラルの状態を体得出来れば、どちらでも良いのだと思います。
クラニオセイクラルのセラピーを受けられたことがある方は、ご経験があると思いますが、まず、セッションは、身体がニュートラルに入っていくことから始まります。セラピストもセッションを受けてらっしゃる方も同じように、ニュートラルの状態に居ます。
そのあとに、ホリスティックシフトと呼ばれる変容が起きることが多くあります。
このホリスティックシフトとは、身体の感覚的な変化や、大きな意味での意識の変容とも言えるため、言語化するのがとても難しいのですが、
あえて表現しますと、
身体が痛みを感じていたとしても、一つにまとまっていくような感覚、
または、大きな空気、または、水の中にやさしく浮かんでいて、包まれているような感覚、
または、自分個人が森羅万象である自然界の一部であるという認識を持つ、とも表現することができるかもしれません。
その時点では、辞書にあった、中立の状態になっているかの確認をしても、
中立であると言うことが出来ますし、それ以上に、身体に抱えた台風そのものが変容していきます。
台風にたとえて表現しましたが、このような均質ではない、停滞した塊のような部分を、不活性なファルクラムと呼びます。ファルクラムとは、支点という意味があり、不活性かつ自由に動けない支点というようなイメージです。
不活性なファルクラムは、何らかのトラウマ、傷、痛みを守るために、生命のエネルギーを駆使して、保護するためのエネルギーの塊であると言うことができます。
言うまでもなく、身体にとっては苦痛であり、たとえ苦痛を知覚していなくても、トラブルや疾患を起こしやすい状態でもあります。
しかし、肉体的にまたエネルギー的に開放し、解き放つことができれば、防衛のために使われていたエネルギーを、本来あった命の輝き、命の使命を全うするために使用できます。
その時必要があって防衛するのも、また開放出来るのも同じように身体の叡智なのです。
また、長くなってしまいました。もっとお話ししたいことがたくさんありますが、一度終わりたいと思います。
お読み下さってありがとうございました。
またのご訪問を心よりお待ちしております。
中満整体
と申しますのは、このニュートラルは、心的な態度を表し、そして身体の在り方を表すとても奥の深い学びであると考えるためです。
日本国語辞典にて、ニュートラル中立の定義を調べてみました。
中立 どちらにも偏らないでその中間に立つこと。ある特定の思想・立場・意見などに偏らないで、中正の道に立つこと。
反対・敵対しているもののどちらの味方もしないこと。
クラニオセイクラルにおける用語として使われる、ニュートラルは、身体の状態を示すことが中心であります。しかし、この定義は、それを理解するための手がかりとなると思います。
もう少し、具体例を使って、このニュートラルについてのお話をしたいと思います。
たとえば、台風は、街の木々、家々を揺らし、時に壊してしまうくらいのエネルギーを持っていますが、その中心である部分は、とても静かであると言われています。
あれだけの威力を持った台風なので、中心が静かだとは、とても信じがたいのですが、この台風のようなエネルギーが、もし、身体の中にあるとしたら、大きな揺らぎを感じ、落ち着いた精神状態であることも困難と思われます。
クラニオセイクラルにおける、このニュートラルであることの体得とは、たとえ身体に台風のようなエネルギーを感じた時であっても、まず、その中心を見つけて、強い渦巻きの突風の中に決して巻き込まれること無く、静かな中心に居続けるという捕らえ方が出来ると思います。
身体がその状態になっているかの確認は、そのときの精神の状態を考えればすぐにわかる思います。
辞書にあった中立の状態、たとえば、
自分自身の内側にある特定の思想・立場・意見などに偏らないで、中正の道に立っているのか?
または、自身の内側に起きている葛藤などを含んだ、反対・敵対している感情のどちらにも偏らない状態であるのか?
これらを自分自身で考え、感じることで、中立の状態を維持しているかの確認がとれます。
そして、身体の状態は、台風が内側にあったとしてもニュートラルの状態に在ることが出来れば、心身ともに静かな状態でいられることがほとんどだと私は考えます。
それでは、なぜ、ニュートラルの状態にいることがそんなに大切なことなのでしょうか?
それは、ニュートラルであることは、最も負荷になるエネルギーがかかっていないため、変容がおこりやすいからです。
つまり、最も静かな場所で、変容がおきるのです。
クラニオセイクラルでは、このシンプルな原理や、万物の真理を組み合わせた療術と言うことができます。
しかしながら、言うは易く、行うは難しであります。
ニュートラルであることの素晴らしさは、この変容を経験し、初めて身体に馴染み、身体が覚え、それにつられて自分自身の精神や心が変化することが出来るところにあります。
このように私はニュートラルを学び、それを語っていますが、無意識的に、このニュートラルである状態に居ることが出来る方も多くいらっしゃると思われます。
身体を使った、伝統武術や、ヨガなどを志しておられる方や、そうでない方であっても、誰に教えてもらった訳でもないのに常にこの状態を維持しておられる方もいらっしゃいます。
しかし、私はそうではなく、クラニオセイクラルに出会って初めて、意識的に開発していきました。結果的には、ニュートラルの状態を体得出来れば、どちらでも良いのだと思います。
クラニオセイクラルのセラピーを受けられたことがある方は、ご経験があると思いますが、まず、セッションは、身体がニュートラルに入っていくことから始まります。セラピストもセッションを受けてらっしゃる方も同じように、ニュートラルの状態に居ます。
そのあとに、ホリスティックシフトと呼ばれる変容が起きることが多くあります。
このホリスティックシフトとは、身体の感覚的な変化や、大きな意味での意識の変容とも言えるため、言語化するのがとても難しいのですが、
あえて表現しますと、
身体が痛みを感じていたとしても、一つにまとまっていくような感覚、
または、大きな空気、または、水の中にやさしく浮かんでいて、包まれているような感覚、
または、自分個人が森羅万象である自然界の一部であるという認識を持つ、とも表現することができるかもしれません。
その時点では、辞書にあった、中立の状態になっているかの確認をしても、
中立であると言うことが出来ますし、それ以上に、身体に抱えた台風そのものが変容していきます。
台風にたとえて表現しましたが、このような均質ではない、停滞した塊のような部分を、不活性なファルクラムと呼びます。ファルクラムとは、支点という意味があり、不活性かつ自由に動けない支点というようなイメージです。
不活性なファルクラムは、何らかのトラウマ、傷、痛みを守るために、生命のエネルギーを駆使して、保護するためのエネルギーの塊であると言うことができます。
言うまでもなく、身体にとっては苦痛であり、たとえ苦痛を知覚していなくても、トラブルや疾患を起こしやすい状態でもあります。
しかし、肉体的にまたエネルギー的に開放し、解き放つことができれば、防衛のために使われていたエネルギーを、本来あった命の輝き、命の使命を全うするために使用できます。
その時必要があって防衛するのも、また開放出来るのも同じように身体の叡智なのです。
また、長くなってしまいました。もっとお話ししたいことがたくさんありますが、一度終わりたいと思います。
お読み下さってありがとうございました。
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中満整体
2013年2月11日月曜日
ミッドライン① 中心軸の美しさは、身体だけではなく芸術にも表れている!
クラニオセイクラルを学ぶ事は、自然科学や芸術を学ぶ事ということが出来ると私は思っています。
私たち人間は、この地球と言う巨大な星の上に、まず引力で常にひきつけられています。
太陽の光が降り注ぎ、木々が光合成をして酸素を放出し、人間は肺呼吸をし、酸素を吸い込み、二酸化炭素を吐いています。
このような自然科学の秩序だけではなく、音楽、色彩などを含む芸術と呼ばれる世界の中にもまた、クラニオセイクラル、バイオダイナミクスの真髄を感じることが出来ます。
「智恵子抄」という詩集を綴った、高村光太郎は、文筆活動のみならず、彫刻や絵画の分野でも多くの作品を残しています。
「栄螺」サザエという木彫りの彫刻の作品がありますが、この作品は、高村氏の大きな転機となった作品と言われており、当時、制作する際、このように話していたそうです。
「サザエがなぜこんなに美しいかと言うと、このサザエの中にゆるぎない中心軸があるからだ。」
この中心軸、クラニオセイクラルにおいては、ミッドラインと呼ばれています。
しかし、ただの中心の線という言い方では、とても足りないくらいの壮大で深い意味合いがあるのです。
また、最近流行っている、体の軸、体幹を作り上げるために、インナーマッスルを鍛えるというような身体機能の単なる機械的なバランスの軸という考察ではない、より深い洞察があるのです。
もちろん、体を鍛えるのは素晴らしいことです。内転筋や、腸腰筋を鍛えることは身体の健康を築きあげてくれます。
しかし、このミッドラインこそが、私たち人間を含む、命あるものの、オリジナルマトリクスであり、原点なのです。
もっと分かりやすい言い方で、私なりの説明をしたいと思います。
まず、私たち人間の発生を考えて見ましょう。
もともと、私たち人間は、母親の体内にある大きな卵子細胞であり、そこに父親の細胞、精子がたどり着き、受精卵になります。
そのときに透明の膜で細胞は覆われて、いずれ人間に発展していく一つの細胞になります。
この細胞は卵管を通り、子宮の内膜に着床します。
ここから、この細胞はより人間らしい形に変化していくのですが、最初のミッドラインの兆しが現れます。
��実はもう少し前からミッドラインは存在しているのですが…またの機会にお伝えします。)
原始腺条という溝ができるのです。
この溝に沿って、細胞は分裂を繰り返し、やがて体の中心となる脊髄や中枢神経などに発展し、精密な人間が誕生します。ここで、ミッドラインの発祥である原始腺条は、どんな役割をしているでしょうか?
ただ単に、人間という形を作っていくための、物理的なガイドラインでしょうか?
もちろんそうでもあります。
しかし、高村光太郎の言葉にもあったように、サザエが美しいのは、この中心軸があることであり、だからこそ高村氏は魅了され、彫刻作品を創作しました。
そして、ダンスやアイススケート、または武術など身体を使った芸術のパフォーマンスに触れ、その身体から溢れ出すエネルギーの美しさに心が奪われたことがあるのは、私だけではないと思います。
体の軸、ミッドラインは、発生の原点であると同時に、その命のエネルギー、輝きを含んでいます。
誰もが、人として生きている以上、このミッドラインを持っています。
そうでなければ、今、生きていられないはずです。
どんなに、たとえば、肉体的な困難を抱えていたとしても、ミッドラインは存在するのです。
その例として、腰が物理的な事故で捻じれた場合、その捻じれによってずれたミッドラインは、他の部位、たとえば首を逆にねじることで埋め合わせし、バランスをとろうとします。
これは、ミッドライン自体がバランスをとるための知恵をもっているからなのです。
その知恵は、肉体的なレベルだけではなく、精神、心においても同時に影響が及んでいます。
そして、原始腺条という溝が現れたときの有様を、クラニオセイクラルではこのようにたとえています。
Breath of life ブレスオブライフ 命の息吹
「神様が息吹を吹きかけた」
この神様の息吹によって、人は自分自身のオリジナルマトリックス、青写真、そして個性や、誕生する使命、そして、その人の命の輝きが与えられたという表現をしています。
実際は、神様の息吹と言うのは比喩です。しかし、神様レベルの創造主でないと、この原始腺条の発生は起こせないのではないかという考えの下にある表現だと考えられております。
その命の息吹があるから、私たちは、単に肺呼吸をして酸素をとりこみ、食事から栄養分を吸収して単に物理的に生きている状態を持続しているだけではなく、それ以上に、生命のエネルギーを燃やしながら、輝きを放ち、物理的にも霊的にも今ここに存在しているのです。
クラニオセイクラルは、その命の輝きを、たとえば、先述しました、腰のねじれを埋め合わせするために全て消耗するのではなく、本来の自分を取り戻し、より自分らしく生きていくという状態に近づくためのワークなのです。
まず、腰の捻じれが弱まれば、補うために捻じれてしまった首も緩やかになっていきます。
捻じれるために使われたエネルギーを、今度は、自分の光り輝く命の表現に使うことが出来ます。
困難な状況から、自分の身を守ることに使われていたエネルギーも、
困難の原因が軽減されることによって、
自分の命の輝きとして自分自身を生きることに使用することが出来るというわけです。
逆な言い方をすると、命の輝きが増せば増すほど、命の輝き自体が、困難を癒す知恵を持っているので、困難を引き寄せる要因が、軽減されていくという言い方も出来ます。
そして、驚くべきことに、このミッドラインの英知は、加齢によって衰退するということは無いそうです。
英国に在住のフランクリンシルズ先生は、文献にて、このように記述されていました。
「胚子の形成力は、80歳になっても同じように働いている。」
少し難しい言い方ですが、肉体が老化したからといって、体の中心に流れているエネルギーが老化し衰退するわけではないとも言えると思います。
ミッドラインについてのお話は、これからたくさん出てくると思います。
まだまだたくさん続きを書きたいのですが、一度この辺で終わりたいと思います。
ここまでお読みくださってありがとうございました。
またのご訪問をお待ちしております。
中満整体
私たち人間は、この地球と言う巨大な星の上に、まず引力で常にひきつけられています。
太陽の光が降り注ぎ、木々が光合成をして酸素を放出し、人間は肺呼吸をし、酸素を吸い込み、二酸化炭素を吐いています。
このような自然科学の秩序だけではなく、音楽、色彩などを含む芸術と呼ばれる世界の中にもまた、クラニオセイクラル、バイオダイナミクスの真髄を感じることが出来ます。
「智恵子抄」という詩集を綴った、高村光太郎は、文筆活動のみならず、彫刻や絵画の分野でも多くの作品を残しています。
「栄螺」サザエという木彫りの彫刻の作品がありますが、この作品は、高村氏の大きな転機となった作品と言われており、当時、制作する際、このように話していたそうです。
「サザエがなぜこんなに美しいかと言うと、このサザエの中にゆるぎない中心軸があるからだ。」
この中心軸、クラニオセイクラルにおいては、ミッドラインと呼ばれています。
しかし、ただの中心の線という言い方では、とても足りないくらいの壮大で深い意味合いがあるのです。
また、最近流行っている、体の軸、体幹を作り上げるために、インナーマッスルを鍛えるというような身体機能の単なる機械的なバランスの軸という考察ではない、より深い洞察があるのです。
もちろん、体を鍛えるのは素晴らしいことです。内転筋や、腸腰筋を鍛えることは身体の健康を築きあげてくれます。
しかし、このミッドラインこそが、私たち人間を含む、命あるものの、オリジナルマトリクスであり、原点なのです。
もっと分かりやすい言い方で、私なりの説明をしたいと思います。
まず、私たち人間の発生を考えて見ましょう。
もともと、私たち人間は、母親の体内にある大きな卵子細胞であり、そこに父親の細胞、精子がたどり着き、受精卵になります。
そのときに透明の膜で細胞は覆われて、いずれ人間に発展していく一つの細胞になります。
この細胞は卵管を通り、子宮の内膜に着床します。
ここから、この細胞はより人間らしい形に変化していくのですが、最初のミッドラインの兆しが現れます。
��実はもう少し前からミッドラインは存在しているのですが…またの機会にお伝えします。)
原始腺条という溝ができるのです。
この溝に沿って、細胞は分裂を繰り返し、やがて体の中心となる脊髄や中枢神経などに発展し、精密な人間が誕生します。ここで、ミッドラインの発祥である原始腺条は、どんな役割をしているでしょうか?
ただ単に、人間という形を作っていくための、物理的なガイドラインでしょうか?
もちろんそうでもあります。
しかし、高村光太郎の言葉にもあったように、サザエが美しいのは、この中心軸があることであり、だからこそ高村氏は魅了され、彫刻作品を創作しました。
そして、ダンスやアイススケート、または武術など身体を使った芸術のパフォーマンスに触れ、その身体から溢れ出すエネルギーの美しさに心が奪われたことがあるのは、私だけではないと思います。
体の軸、ミッドラインは、発生の原点であると同時に、その命のエネルギー、輝きを含んでいます。
誰もが、人として生きている以上、このミッドラインを持っています。
そうでなければ、今、生きていられないはずです。
どんなに、たとえば、肉体的な困難を抱えていたとしても、ミッドラインは存在するのです。
その例として、腰が物理的な事故で捻じれた場合、その捻じれによってずれたミッドラインは、他の部位、たとえば首を逆にねじることで埋め合わせし、バランスをとろうとします。
これは、ミッドライン自体がバランスをとるための知恵をもっているからなのです。
その知恵は、肉体的なレベルだけではなく、精神、心においても同時に影響が及んでいます。
そして、原始腺条という溝が現れたときの有様を、クラニオセイクラルではこのようにたとえています。
Breath of life ブレスオブライフ 命の息吹
「神様が息吹を吹きかけた」
この神様の息吹によって、人は自分自身のオリジナルマトリックス、青写真、そして個性や、誕生する使命、そして、その人の命の輝きが与えられたという表現をしています。
実際は、神様の息吹と言うのは比喩です。しかし、神様レベルの創造主でないと、この原始腺条の発生は起こせないのではないかという考えの下にある表現だと考えられております。
その命の息吹があるから、私たちは、単に肺呼吸をして酸素をとりこみ、食事から栄養分を吸収して単に物理的に生きている状態を持続しているだけではなく、それ以上に、生命のエネルギーを燃やしながら、輝きを放ち、物理的にも霊的にも今ここに存在しているのです。
クラニオセイクラルは、その命の輝きを、たとえば、先述しました、腰のねじれを埋め合わせするために全て消耗するのではなく、本来の自分を取り戻し、より自分らしく生きていくという状態に近づくためのワークなのです。
まず、腰の捻じれが弱まれば、補うために捻じれてしまった首も緩やかになっていきます。
捻じれるために使われたエネルギーを、今度は、自分の光り輝く命の表現に使うことが出来ます。
困難な状況から、自分の身を守ることに使われていたエネルギーも、
困難の原因が軽減されることによって、
自分の命の輝きとして自分自身を生きることに使用することが出来るというわけです。
逆な言い方をすると、命の輝きが増せば増すほど、命の輝き自体が、困難を癒す知恵を持っているので、困難を引き寄せる要因が、軽減されていくという言い方も出来ます。
そして、驚くべきことに、このミッドラインの英知は、加齢によって衰退するということは無いそうです。
英国に在住のフランクリンシルズ先生は、文献にて、このように記述されていました。
「胚子の形成力は、80歳になっても同じように働いている。」
少し難しい言い方ですが、肉体が老化したからといって、体の中心に流れているエネルギーが老化し衰退するわけではないとも言えると思います。
ミッドラインについてのお話は、これからたくさん出てくると思います。
まだまだたくさん続きを書きたいのですが、一度この辺で終わりたいと思います。
ここまでお読みくださってありがとうございました。
またのご訪問をお待ちしております。
中満整体
2013年2月9日土曜日
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当日は、体を締め付けるような服装、香水など匂いのするものは避けていただき、
リラックスできるお着替えをお持ちいただくか、または楽にセッションができるような服装でお越しください。
なお、セッション後の反応を考慮すると、お車、バイク、自転車などの乗り物ではなく、電車と徒歩にてお越しくださると安心です。
お会いできるのを楽しみにしております。
中満整体
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