2013年2月15日金曜日

ニュートラル① 最も負荷のかからない静かな場所。そして、変容が起きる場所。

ニュートラルであることの大切さは、クラニオセイクラルの学びの初期の時点で教わります。しかし、ニュートラルである状態を体得し、深めていくための学びは、上級者になっても続き、さらには、生涯かけて深めていく学びと言っても過言ではないと思っています。

と申しますのは、このニュートラルは、心的な態度を表し、そして身体の在り方を表すとても奥の深い学びであると考えるためです。

日本国語辞典にて、ニュートラル中立の定義を調べてみました。
中立 どちらにも偏らないでその中間に立つこと。ある特定の思想・立場・意見などに偏らないで、中正の道に立つこと。
反対・敵対しているもののどちらの味方もしないこと。

クラニオセイクラルにおける用語として使われる、ニュートラルは、身体の状態を示すことが中心であります。しかし、この定義は、それを理解するための手がかりとなると思います。

もう少し、具体例を使って、このニュートラルについてのお話をしたいと思います。

たとえば、台風は、街の木々、家々を揺らし、時に壊してしまうくらいのエネルギーを持っていますが、その中心である部分は、とても静かであると言われています。
あれだけの威力を持った台風なので、中心が静かだとは、とても信じがたいのですが、この台風のようなエネルギーが、もし、身体の中にあるとしたら、大きな揺らぎを感じ、落ち着いた精神状態であることも困難と思われます。

クラニオセイクラルにおける、このニュートラルであることの体得とは、たとえ身体に台風のようなエネルギーを感じた時であっても、まず、その中心を見つけて、強い渦巻きの突風の中に決して巻き込まれること無く、静かな中心に居続けるという捕らえ方が出来ると思います。

身体がその状態になっているかの確認は、そのときの精神の状態を考えればすぐにわかる思います。

辞書にあった中立の状態、たとえば、

自分自身の内側にある特定の思想・立場・意見などに偏らないで、中正の道に立っているのか?

または、自身の内側に起きている葛藤などを含んだ、反対・敵対している感情のどちらにも偏らない状態であるのか?

これらを自分自身で考え、感じることで、中立の状態を維持しているかの確認がとれます。

そして、身体の状態は、台風が内側にあったとしてもニュートラルの状態に在ることが出来れば、心身ともに静かな状態でいられることがほとんどだと私は考えます。

それでは、なぜ、ニュートラルの状態にいることがそんなに大切なことなのでしょうか?

それは、ニュートラルであることは、最も負荷になるエネルギーがかかっていないため、変容がおこりやすいからです。

つまり、最も静かな場所で、変容がおきるのです。

クラニオセイクラルでは、このシンプルな原理や、万物の真理を組み合わせた療術と言うことができます。
しかしながら、言うは易く、行うは難しであります。

ニュートラルであることの素晴らしさは、この変容を経験し、初めて身体に馴染み、身体が覚え、それにつられて自分自身の精神や心が変化することが出来るところにあります。

このように私はニュートラルを学び、それを語っていますが、無意識的に、このニュートラルである状態に居ることが出来る方も多くいらっしゃると思われます。
身体を使った、伝統武術や、ヨガなどを志しておられる方や、そうでない方であっても、誰に教えてもらった訳でもないのに常にこの状態を維持しておられる方もいらっしゃいます。

しかし、私はそうではなく、クラニオセイクラルに出会って初めて、意識的に開発していきました。結果的には、ニュートラルの状態を体得出来れば、どちらでも良いのだと思います。

クラニオセイクラルのセラピーを受けられたことがある方は、ご経験があると思いますが、まず、セッションは、身体がニュートラルに入っていくことから始まります。セラピストもセッションを受けてらっしゃる方も同じように、ニュートラルの状態に居ます。
そのあとに、ホリスティックシフトと呼ばれる変容が起きることが多くあります。

このホリスティックシフトとは、身体の感覚的な変化や、大きな意味での意識の変容とも言えるため、言語化するのがとても難しいのですが、
あえて表現しますと、

身体が痛みを感じていたとしても、一つにまとまっていくような感覚、

または、大きな空気、または、水の中にやさしく浮かんでいて、包まれているような感覚、

または、自分個人が森羅万象である自然界の一部であるという認識を持つ、とも表現することができるかもしれません。

その時点では、辞書にあった、中立の状態になっているかの確認をしても、
中立であると言うことが出来ますし、それ以上に、身体に抱えた台風そのものが変容していきます。

台風にたとえて表現しましたが、このような均質ではない、停滞した塊のような部分を、不活性なファルクラムと呼びます。ファルクラムとは、支点という意味があり、不活性かつ自由に動けない支点というようなイメージです。

不活性なファルクラムは、何らかのトラウマ、傷、痛みを守るために、生命のエネルギーを駆使して、保護するためのエネルギーの塊であると言うことができます。

言うまでもなく、身体にとっては苦痛であり、たとえ苦痛を知覚していなくても、トラブルや疾患を起こしやすい状態でもあります。

しかし、肉体的にまたエネルギー的に開放し、解き放つことができれば、防衛のために使われていたエネルギーを、本来あった命の輝き、命の使命を全うするために使用できます。

その時必要があって防衛するのも、また開放出来るのも同じように身体の叡智なのです。

また、長くなってしまいました。もっとお話ししたいことがたくさんありますが、一度終わりたいと思います。
お読み下さってありがとうございました。
またのご訪問を心よりお待ちしております。


中満整体

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