クラニオセイクラルのセラピーをするプラクティショナーにとって、バウンダリーという概念は、セッションを与える側にとっても、受ける側にとっても大変重要であると私は感じています。
そしてまた、私たちがセッションの場から離れた、社会を生きる中での、特に、人間関係でのトラブルや、困難を回避するために、とても役に立つ考え方でもあると思い、ここにご紹介をさせていただきます。
バウンダリーとは、英語でboundaryと綴り、境界線という意味があります。
始めに、脳のしくみについて大まかではありますが、少しお話します。
まず、脳神経のうちの嗅神経は、とても原始的な感覚器官といわれており、私たち人間のみならず、動物たちにとっても同じように原始的な背景をもとに発達いたしました。
外敵は近くにいないかなどの危険を察知するために嗅覚を鋭敏にさせ、また、餌や獲物が新鮮であるかなど、生命を維持することに直結した情報を受け取るための器官です。
また、生殖をつかさどる匂いの物質、フェロモンを出して、異性を嗅覚を通して吸引するという動物を考えても、子孫を残すという生命の動物的本能を担う重要な役割を果たしています。
もう少し具体的にお話しますと、嗅神経の神経線維は脳の中心から両方の鼻の上部に向かって、2本横たわっています。
嗅神経から得た情報はそのまま、脳の中心である、大脳辺縁系と呼ばれる、原始的な脳に伝わります。
大脳辺縁系にある主な脳の器官として、海馬、扁桃体があります。
海馬は、記憶をつかさどり、扁桃体は情動をつかさどっています。
それらは嗅覚からの情報のみならず、大脳新皮質などその他の器官からも情報を得ています。
たとえば、嗅覚や大脳新皮質などからある情報が入ったとします。海馬はこれまでの記憶と照らし合わせて、自分の生命の維持に危険かどうかの判断をします。危険であれば、情動をつかさどる扁桃体がそれに反応し、怒りを示します。
さらにその情報が視床や、ホルモン系などを司る視床下部に伝わり、戦闘体性にすぐに入れるように、目は見開かれ、手は汗を握り、血圧や体温は上がるなどの身体反応が起きます。
つまり、私たち人間は、常に外敵からの安全を維持し、命を落とさないためにサバイバルが出来るような脳の仕組みを持っているのです。
大脳辺縁系は、原始の頃から、私たちが今生きる環境も発達をし続けています。
戦争や自然災害を乗り越えて、私たちの先祖から今日の私たちまで、命が続いていると考えますと、まさに幾多にもわたる困難を乗り越えて、今ここに命があるといっても過言ではないと思います。
先日、私はニュートラルである状態を維持する学びは生涯続くほど重要な意味合いがあるとブログにてお話させていただきました。
それほどまでにニュートラルの状態を維持することに努力や訓練を要する理由は、まさに次の内容にあります。
サバイバルをし続けた私たちは、今も、ここに生きて、同じようにサバイバルをしています。
今、現在、本当に危険であり、サバイバルの必要性がれば、危険な状態を回避するために、身体は戦闘体性に入るのですが、それは必要であるからこそ身体はその反応をします。
しかし、実は、危険ではないときにまで、脳は海馬にある過去からの情報に照らし合わせて、これは危険な状態であるというスイッチを入れてしまうことがあるということです。
今、現在の何らかの情報で、過去の危険な記憶が呼び起こされてしまうという仕組みなのですが、これは、
現在、事実において危険な状態であるのか?という問題ではなく、
脳が危険と判断したのか?という問題になってくるのです。
ここに、ニュートラル、中立性は無いと言うことになります。
海馬、扁桃体を含む脳の危険を察知する機能が働いたからこそ、私たちは今日ここに生きています。とても大切な脳の器官です。
しかし、誤作動が働いてしまうのは、それだけサバイバルが多くあったということでもありますし、困難や危険の記憶を含んだ海馬の記憶を癒すことによって、より、適切なときに、生存防衛機能を使用することができ、不必要な状態にスイッチを入れてしまうことを避けることが出来るとも考えられます。
同じ状況の中で、危険を察知し、防衛体制、戦闘体制に入る人もいれば、全く危険を感じない人もいます。
どちらかが良い、悪いという問題ではなく、脳の原始的な反応であっても、そこには個人差があると言うことができます。
つまり、目の前の現実をありのままに認識するということは、非常に困難なことであり、そこに関わる誰もが、おのおのの見方をしているのです。
もし、複数の人々が各自の海馬を含む脳のフィルターで現実を認識し、さらに、防衛体制、戦闘体制に入っている人が、そうでない人に影響を及ぼしたとしたら、二次的な影響を与えることになります。
バウンダリーの概念は、この時に活かされます。
まず、自分の反応を、無意識ではなく、自覚と意識を持って、認識をするのです。
この時点でニュートラルに近づくのですが、
そこからさらに、バウンダリーの概念を用いると、さらにクリアーなニュートラルに成っていきます。
自分のものと、自分以外の人のものとを境界線を持って、違うのだという認識を持つと言うことなのです。
自分の問題と、自分以外の問題。
自分の感情と、自分以外の人の感情。
ごちゃごちゃにならないように、分別をするのです。
そして、広い空間にいることをイメージするのです。
それは、境界線同士が重なり合わないくらい広い空間を想像することによって、安全な自分の領域を創造するのです。
怒っている人の話を聞いて、だんだんこちらも怒ってくるような場合があるとします。
たとえ自分の反応ではなくても、怒りという情動反応は、境界線が緩むことによって、自分のものなのか、他人のものなのかの分別がつかず、まさに巻き込まれてしまう状態を招く可能性も含んでいます。
それだけ、怒りの反応は、生命を脅かされるという恐怖に基づいた、多くの生命体がもつ原始的な感情であるのです。
共感できる能力は素晴らしく、人とのコミュニケーションをするにおいて、とても重要です。しかし、境界線を無くすということは、自分自身の安全な領域を無くすということにつながり、境界線がなくなるがゆえにサバイバルに巻き込まれていくということにもつながります。
これもまた人間関係が上手くいかなくなる大きな要因であり、人間関係からのストレスを抱える原因となります。
たとえば、誰かが目の前であなたに怒りをぶつけてきたとします。
その怒りは、誰かの怒りであって、あなたの怒りではないのです。
また、何らかの情報をもとに誰かの怒りのスイッチが入ったとしても、最終的には、海馬の記憶をはじめとしたフィルターにかけられながら情報が処理され、怒りの反応を示しているのです。このフィルターの構造については、少なくとも、あなたの責任ではありません。
表現された怒りに反応してしまった場合は、今、自分は表現された怒りに対して、反応をしているのだという自覚を持ち、意識的に自分の反応を捕らえることが出来れば、それは巻き込まれている状態から少し離れていると言うことができます。
サバイバルからの原始的な反応は、今日まで命をつないできた歴史があるので、サバイバルが過酷だった人ほど、強烈な反応を示すだろうと思われます。
バウンダリー境界線を持つ、そのシンプルなこころの作業をするだけで、状況も身体も変化します。誰かに巻き込まれる状態でもなく、自分が誰かに介入している状態でも在りません。手を加えて何かを変えようとする必要は全くありません。
何らかの感情的な反応や、身体的な反応があったとしても、意識的になることで、巻き込まれること無く、ニュートラルにたたずむことが出来ます。
ここに静かなるニュートラルの変容のポイントがあります。
繰り返しますが、何かを変えようと手を加える必要は全くありません。
自分のあり方を変えるだけで、自分に向けられ、また自分を取り囲んでいるエネルギーの状態が変化します。
まず、自分から始まるのです。
誰もがその変容の力を持っているのです。
ニュートラルに身を任せ、一切の計画や努力を一度放棄します。生命の英知に身を任せます。自分の変容は、自分とつながっている全ての関わりの変容のチャンスにつながります。
バウンダリーを意識するということは、距離をとる、空間を与えるという表現に変えることも出来ます。
それは、身体的に近い状態でも、距離をとることが出来ます。
誰かを避けたいがごとく、逃げるように距離をとるという意味ではなく、
まず、自分自身が広い場所に居るのだという意識を持つということでもあります。
クラニオセイクラルではイメージを頻繁に使う、創造的な療術であります。
空間認識を変えることで、意識と精神と身体は、大きな変化を経験するのです。
広い地平線や水平線をイメージするときに、その3つの側面で大きな変化を感じる方もいらっしゃるかもしれません。
広い空間認識はまた、狭い皮膚の内側に包まっている肉体より、さらに大きな空間を感じ、安心感や勇気、安らぎや落ち着きを感じることもあると思います。
訓練されたクラニオセイクラルのセラピストのセッションを受けながら、ある程度の身体の安定レベルまでの導入を手伝ってもらうのも良いかもしれません。
バウンダリーは、ニュートラルへの大きな入り口であり、
ニュートラルこそが、静かなる変容の場所であります。
また、機会があれば、今度は逆に、バウンダリー、境界線が溶けていくお話ができたらと思っています。
お読みくださってありがとうございました。
またのご訪問を心よりお待ちいたします。
中満整体
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