2018年7月20日金曜日

施術室で起きている○○学では説明できない事 命の歴史が現れる瞬間➋

前回の続きです☆

ある日突然に起きる
突然の不運、
または、
突然のラッキーな事は、

何の脈絡もなく
ある日突然に、発生するように思いやすいのですが、

人の命の潜在的なところに
突然生じる要因があるということを
整体師として、身体に触れる中で感じてきました。

命が発芽して、開花するように、
現象として、現れ、
それが、たまたま、当人にとって、都合がよければ、
ラッキーな棚からぼた餅であって
都合が悪ければ、不運と感じられますが、

整体師として、
人間の身体、肉体という物質に触れていながら、
その背後にある、命の情報、命の歴史というのに、
施術を通して、直面してきました。

というような事を書きました。

今回は、命の情報
命の歴史について、私が普段感じていることを書きたいと思います。


*****  ○○学では、説明できない、身体が引き起こす現象  *****


私は、以前、東洋医学的な施術を行っていた時、
○○という物質が、体内で○○という物質に変化し
その物質が、このように分解され、その物質が排泄される時・・・・
というような、
例えば、生化学のような
一般的な学問的な切り口ではない角度で、人の身体に触れていました。

その当時から、肉体を物質として診る事が、基準ではありませんでしたが
それでも、当時、この診方に限界を感じて、
クラニオセイクラル バイオダイナミクスを探し出しました。

今、クラニオセイクラルセラピストとして、臨床を重ねてきた中で
私が感じることは、
身体は、眼で見る限り、
眼で見た通りの肉体ですが、

施術を通して、感じるカラダとは、
生化学
栄養学
解剖学
心理学
というような、○○学を超えていることがあるということなのです。


*****  命の情報、命の歴史 *****


施術を通して、感じるカラダとは、

例えば、ある時期に、

その個人の、命にかかわる人の情報が現れることがあり、
それは、肉親、兄弟、血のつながりのある人々、
または、その先祖に当たる人々の情報であることもあり、

そして、時間と空間を超えた、時と場所で、その命が経験した
今でも続ている、想いや感情、そして、課題が現れることがある。

ということが挙げられると思います。

具体的な、ストーリーを話して下さることが多いです。

必ず、このようなことが起きると
決定しているわけではありませんが、

私達の身体とは、
私達が目で見ているより、
もっともっと大きな存在であり、
また、私達、人類は、身体のことを、まだまだ良く分かっていないのです。

しかし、臨床を積み上げることで、多くのヒントをもらうことはできると思います。


***** オカルトというより、目の前の現象です。 *****


オカルト、スピリチュアル
いろいろな表現があると思いますし
そういう現象は、昔からあると思います。

しかし、ひとつだけそれらと違うことは、

まず、施術においては、身体ありきなので、
ふわーっとした、
エネルギー
スピリットの存在
または、神様のお告げ
というよりは、

眼の前に存在する
手に触れて、しっかりとわかる肉体という物質から与えられる、
命の歴史や、命の情報と言えます。


肉体、という目の前の現実が
クライアントに、
そして、時に施術者に、
さらに、その施術を行う、時と空間に
何らかの発信をしてくるのであって、

起きることは、全て、
目の前の事実であり、
目の前の現象なんです。

そして、その命の動きが現す現象が、
時に、症状であり、痛みであり、不快な感情であり
また、時に、棚からぼた餅のようなラッキーなことなのかもしれません。


***** 命は、いつも、解放されたがっている。 *****


突然起こる何かは、
良いことも、そうでないことも含めて、
命の解放なのだと、
私は、感じています。

私は、今まで、根本的に治癒する命を見てこれたのは、
命が、おのずと解放するところに
立ち会えたからです。

良いこと、悪いことに分けるのなら、
それは、誰かの主観的な判断ですが、
命は、いつも、
全てを、解放し尽くし、
循環し続け、変容していくプロセスを
助けているのだと感じています。

そこに、どんな、ネガティブな思いがあったとしても、
それを、自然に解放させてあげるところに、
光が当たる。




施術をする側の意識と
そして、施術を受ける人の、意識という

意識の光が当たる。

その力が、本当に素晴らしいんです。

深く眠っていたからこそ、光が当たることがなかった。
だから、ネガティブな思いになっていたのかもしれません。

光が当たるから
そのネガティブな思いであろうと、何だろうと
純粋な生命力そのものに、変容することができるのです。

そして、この瞬間こそが、根本的に回復する転換点なのです。

中満整体



2018年7月10日火曜日

突然の不運なのか、棚からぼた餅なのか。命の歴史が、現れる瞬間❶

世の中には、
ある日突然、事故に遭ってしまって、
不遇な目にあってしまった
という話もあれば、

ある日突然、
棚からぼた餅を見つけたかのような、
ラッキーッ♪♪
という経験もあります。

身近な例では、
父が、予期していなかった事故に遭ってしまい、
年齢の割に、とても健康だった身体に、
神経系のダメージを負ってしまった
ということがありました。

そして、

良い意味でも、
そうでなくても、

その、ある日突然。

という、

偶発的に起きる事を、

整体師として、
そして、セラピストとして、
最近、
考えてみたんです。


****** 命の歴史 *****


私達の意識には、
顕在意識と、
潜在意識があって、

特に、その潜在意識を、
身体に例えるならば、
無意識に身体をコントロールしていて、
自律神経の働きに似ている。





というような話を、
以前しています。

そうです。

整体師としての顔で、
書いた、文章ですね。

私の、その整体師としての顔を、
少し、脇において、

セラピストとして、
少しだけ、
付け加えるならば、


身体は、

自律神経のみならず、

ものすごい、

膨大な記憶を保持しているんですよ。


という事です。

しかも、この、記憶は、
レントゲンにも映りませんし、
MRI画像にも現れないでしょうし、

ちょこっとした、
心理テストみたいなものでも
判別できないでしょう。

命の歴史と言ってもいいのかもしれません。


静かな空間で、

身体が、ものすごい、静かになる時、


あらゆる音に含まれる、
振動という活発な動きが
静寂に包まれるとき、


身体は、透き通った、
ジェルのような
潤いに満たされた、
純粋な命を現すことがあります。


そして、

その命は、

その施術の最中、
または、施術の後に、

時に、これまでに経験した、

歴史を表すことがあるんです。


そして、その瞬間は、
命にとって、
解き放たれる瞬間なんです。


***** ある日突然、命が表現する。 *****


命は、常に、
解放したがって
表現したがっている

と感じられます。

潜在意識は、
何らかの形で、
顕在意識の方向に向かって、
表現をしようとする。


そして、


姿を現そうとする
その命の表現が、

突然に起こる何か


であって、


突然の不遇や
棚からぼた餅
に感じられることのすべては、

その潜在意識、
また、これまでの人生で学習された

自律神経の反応であり、

命が経験し、記憶している歴史を
表現しているに過ぎないと

私は、これまでの施術を通して、
感じているんです。


***** ある日突然の現れることの種は、それ以前から潜在的にあった。*****


微妙な、表現で書くことは、
好きではない性分なのですが、
あえて、微妙な表現で書いています。

ある日突然、
良くないことが起きたら、
私も含め、多くの方は、
不運だと思うと思うんです。

そして、棚からぼた餅を見つけたような
ラッキーなことがあれば、
イエーイ 
ラッキーッ♪♪
って思うと思うんです。

でも、

命の壮大な記憶が
現れるのを
施術室で
見ていると、


その表面に現れたことの種は、
ずっと前から、潜在的に存在していたということが

わかるんです。



ある日突然、

現れる何かは、

自分にとって、都合がいいことなのか、
そうでないのか。
それは、大きな違いだと思いますが、

実は、そのカラクリは、
同じだと
私は、思うんです。

次回に続きます。