前回の続きです☆
ある日突然に起きる
突然の不運、
または、
突然のラッキーな事は、
何の脈絡もなく
ある日突然に、発生するように思いやすいのですが、
人の命の潜在的なところに
突然生じる要因があるということを
整体師として、身体に触れる中で感じてきました。
命が発芽して、開花するように、
現象として、現れ、
それが、たまたま、当人にとって、都合がよければ、
ラッキーな棚からぼた餅であって
都合が悪ければ、不運と感じられますが、
整体師として、
人間の身体、肉体という物質に触れていながら、
その背後にある、命の情報、命の歴史というのに、
施術を通して、直面してきました。
というような事を書きました。
今回は、命の情報
命の歴史について、私が普段感じていることを書きたいと思います。
***** ○○学では、説明できない、身体が引き起こす現象 *****
私は、以前、東洋医学的な施術を行っていた時、
○○という物質が、体内で○○という物質に変化し
その物質が、このように分解され、その物質が排泄される時・・・・
というような、
例えば、生化学のような
一般的な学問的な切り口ではない角度で、人の身体に触れていました。
その当時から、肉体を物質として診る事が、基準ではありませんでしたが
それでも、当時、この診方に限界を感じて、
クラニオセイクラル バイオダイナミクスを探し出しました。
今、クラニオセイクラルセラピストとして、臨床を重ねてきた中で
私が感じることは、
身体は、眼で見る限り、
眼で見た通りの肉体ですが、
施術を通して、感じるカラダとは、
生化学
栄養学
解剖学
心理学
というような、○○学を超えていることがあるということなのです。
***** 命の情報、命の歴史 *****
施術を通して、感じるカラダとは、
例えば、ある時期に、
その個人の、命にかかわる人の情報が現れることがあり、
それは、肉親、兄弟、血のつながりのある人々、
または、その先祖に当たる人々の情報であることもあり、
そして、時間と空間を超えた、時と場所で、その命が経験した
今でも続ている、想いや感情、そして、課題が現れることがある。
ということが挙げられると思います。
具体的な、ストーリーを話して下さることが多いです。
必ず、このようなことが起きると
決定しているわけではありませんが、
私達の身体とは、
私達が目で見ているより、
もっともっと大きな存在であり、
また、私達、人類は、身体のことを、まだまだ良く分かっていないのです。
しかし、臨床を積み上げることで、多くのヒントをもらうことはできると思います。
***** オカルトというより、目の前の現象です。 *****
オカルト、スピリチュアル
いろいろな表現があると思いますし
そういう現象は、昔からあると思います。
しかし、ひとつだけそれらと違うことは、
まず、施術においては、身体ありきなので、
ふわーっとした、
エネルギー
スピリットの存在
または、神様のお告げ
というよりは、
眼の前に存在する
手に触れて、しっかりとわかる肉体という物質から与えられる、
命の歴史や、命の情報と言えます。
肉体、という目の前の現実が
クライアントに、
そして、時に施術者に、
さらに、その施術を行う、時と空間に
何らかの発信をしてくるのであって、
起きることは、全て、
目の前の事実であり、
目の前の現象なんです。
そして、その命の動きが現す現象が、
時に、症状であり、痛みであり、不快な感情であり
また、時に、棚からぼた餅のようなラッキーなことなのかもしれません。
***** 命は、いつも、解放されたがっている。 *****
突然起こる何かは、
良いことも、そうでないことも含めて、
命の解放なのだと、
私は、感じています。
私は、今まで、根本的に治癒する命を見てこれたのは、
命が、おのずと解放するところに
立ち会えたからです。
良いこと、悪いことに分けるのなら、
それは、誰かの主観的な判断ですが、
命は、いつも、
全てを、解放し尽くし、
循環し続け、変容していくプロセスを
助けているのだと感じています。
そこに、どんな、ネガティブな思いがあったとしても、
それを、自然に解放させてあげるところに、
光が当たる。
施術をする側の意識と
そして、施術を受ける人の、意識という
意識の光が当たる。
その力が、本当に素晴らしいんです。
深く眠っていたからこそ、光が当たることがなかった。
だから、ネガティブな思いになっていたのかもしれません。
光が当たるから
そのネガティブな思いであろうと、何だろうと
純粋な生命力そのものに、変容することができるのです。
そして、この瞬間こそが、根本的に回復する転換点なのです。
中満整体
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