2018年7月10日火曜日

突然の不運なのか、棚からぼた餅なのか。命の歴史が、現れる瞬間❶

世の中には、
ある日突然、事故に遭ってしまって、
不遇な目にあってしまった
という話もあれば、

ある日突然、
棚からぼた餅を見つけたかのような、
ラッキーッ♪♪
という経験もあります。

身近な例では、
父が、予期していなかった事故に遭ってしまい、
年齢の割に、とても健康だった身体に、
神経系のダメージを負ってしまった
ということがありました。

そして、

良い意味でも、
そうでなくても、

その、ある日突然。

という、

偶発的に起きる事を、

整体師として、
そして、セラピストとして、
最近、
考えてみたんです。


****** 命の歴史 *****


私達の意識には、
顕在意識と、
潜在意識があって、

特に、その潜在意識を、
身体に例えるならば、
無意識に身体をコントロールしていて、
自律神経の働きに似ている。





というような話を、
以前しています。

そうです。

整体師としての顔で、
書いた、文章ですね。

私の、その整体師としての顔を、
少し、脇において、

セラピストとして、
少しだけ、
付け加えるならば、


身体は、

自律神経のみならず、

ものすごい、

膨大な記憶を保持しているんですよ。


という事です。

しかも、この、記憶は、
レントゲンにも映りませんし、
MRI画像にも現れないでしょうし、

ちょこっとした、
心理テストみたいなものでも
判別できないでしょう。

命の歴史と言ってもいいのかもしれません。


静かな空間で、

身体が、ものすごい、静かになる時、


あらゆる音に含まれる、
振動という活発な動きが
静寂に包まれるとき、


身体は、透き通った、
ジェルのような
潤いに満たされた、
純粋な命を現すことがあります。


そして、

その命は、

その施術の最中、
または、施術の後に、

時に、これまでに経験した、

歴史を表すことがあるんです。


そして、その瞬間は、
命にとって、
解き放たれる瞬間なんです。


***** ある日突然、命が表現する。 *****


命は、常に、
解放したがって
表現したがっている

と感じられます。

潜在意識は、
何らかの形で、
顕在意識の方向に向かって、
表現をしようとする。


そして、


姿を現そうとする
その命の表現が、

突然に起こる何か


であって、


突然の不遇や
棚からぼた餅
に感じられることのすべては、

その潜在意識、
また、これまでの人生で学習された

自律神経の反応であり、

命が経験し、記憶している歴史を
表現しているに過ぎないと

私は、これまでの施術を通して、
感じているんです。


***** ある日突然の現れることの種は、それ以前から潜在的にあった。*****


微妙な、表現で書くことは、
好きではない性分なのですが、
あえて、微妙な表現で書いています。

ある日突然、
良くないことが起きたら、
私も含め、多くの方は、
不運だと思うと思うんです。

そして、棚からぼた餅を見つけたような
ラッキーなことがあれば、
イエーイ 
ラッキーッ♪♪
って思うと思うんです。

でも、

命の壮大な記憶が
現れるのを
施術室で
見ていると、


その表面に現れたことの種は、
ずっと前から、潜在的に存在していたということが

わかるんです。



ある日突然、

現れる何かは、

自分にとって、都合がいいことなのか、
そうでないのか。
それは、大きな違いだと思いますが、

実は、そのカラクリは、
同じだと
私は、思うんです。

次回に続きます。




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