2014年11月29日土曜日

"信念"という牢獄を溶かす、原初の呼吸

「信念という牢獄を溶かす、原初の呼吸」という新しいブログを11月11日に中満整体、新公式ウエブサイトにアップロードしていましたことを
お知らせいたします。
新公式ウエブサイトはこちらです!
craniobio-seitai.com
クラニオバイオ整体ドットコムと覚えてください。
所々、ページが開かない場合もありますが、ご容赦ください。現在、急いで作成しています!
どうぞ、よろしくお願いいたします。

中満整体

2014年9月15日月曜日

リソース 資源③ 抵抗勢力とリソース 人を引きずりおろすと同時に自分をも引きずりおろしている。

『昨今の国会中継は、テレビのワイドショーと化してしまった。』

そのような内容を、かなり昔、新聞記事のオピニオン欄にて読んだような気がしますが、
お読み下さるあなたは、どのように思われますか?
私は、新聞記事と往々にして、同意見かもしれません。

抵抗勢力といえば、何と無く、存在意義がありそうな言い回しですが、
ひとたび、野次となると、聞いていられないような内容もあるのではないでしょうか?
議論が交わされているようだが、
どうみても、足を引っ張りたいだけにしか見えないような…。

実際、前任期中の阿部総理大臣は、凄まじい抵抗勢力からの圧力にて健康状態を損ない、心身困憊されておられたことも記憶に新しく、また、今は亡き、小渕恵三元総理大臣も、これらのご心労がなければ、命を落とすことはなかったようにも思われ、与野党問わず、この抵抗勢力の原動力が、本来の政治家の目的、いわゆる「国を良くするための反対側からの意見」ということから、外れているのではないかと思わざるを得ないような気がしてなりません。

そして、このような国会中継の議論(議論にもならないような野次含む)における、
一つの勢力と、それに対抗する勢力、
与党と野党、
または派閥など、
このような、相反する複数の間のやりとり、または関係性とは、
いわゆる一般企業の上層部、
いや、上層部どころか、
先日行われた会議の席で、
または、地域社会の集団の中で、
よく見受けられる光景かもしれません。

今日は、抵抗勢力とクラニオセクラル・バイオダイナミクスの学びであるリソースについての関係性について、私の思いを書きたいと思います。

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以前のブログでも書きましたが、リソースとは、英語でResourceと書きます。

Re 「離れる、再び、繰り返し、新たに、」という意味のある接頭語と
Source 「源泉、源」という言葉が合体していて、

源泉である、命の源から、一度離れてしまっているが、
再び、命の源泉に戻ることができる
そして、その源泉からの慈悲を、何度も、新たに、繰り返しうけることができる
そんな意味があるのではないかと以前に書きましたが、

もっと、簡単にお伝えするのであれば…、

例えば、子供が、ある鉄道の駅の名前を全部覚えてしまったり、
昆虫図鑑にある昆虫の名前を全て覚えていたりすることがあります。
子供は、自分の興味のあること、面白いことは、飽きることなく、しつこくやり続けます。
なぜならば、それが面白くて、面白くて仕方が無いからです。

その、面白くて仕方が無い時は、
ものすごく純粋に、自分の内なる源泉に触れている瞬間だから、
飽きることがないわけです。

子供は、早くて、1〜2年位で、言葉を覚えて、話し出します。
6歳にもなれば、小学校に行き、読み書きをし始め
私たち大人が過ごす6年では、成し遂げられない事を成す能力を持ち、
時折、大人もビックリするような能力を発揮することがあります。
それは、子供が柔軟であるという事以外に、
子供が好きな事に熱中している時に、つながっている源泉というものが、
純粋に、無限の可能性に満ちているからだと思います。

そして、大人も子供も「好きこそ物の上手なれ」と呼ばれる状況の背後には
この源泉からの恩恵があるからだと思います。

リソースを、簡単に言うのならば、その面白くて面白くて仕方がなく、
時間すら忘れて熱中し、純粋に自分の内なる源泉に触れられるような、
物事。
その、物事。
それをリソースと言うことができるのではないかと私は思います。

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話しが変わって、
私の故郷は、小泉元総理大臣の選挙区と同じですが、

小泉元総理大臣は、阿部元総理や小渕元総理とはやや異なり、
抵抗勢力に、際立って、打たれ強い方のように見受けられました。
また、抵抗勢力に対し、独特な反応を示されていたことが、とても印象深く、
先ほどの、”熱中する子供”に類似したような表情を、
テレビで時折見せておられたことがありましたので、
その頃、私が拝見し、記憶していることを書きたいと思います。

任期中のある日、これから国会が始まるという時に、記者が小泉元総理を囲み、
「総理、国会が始まる前まで、どのように過ごされていましたか?」
という記者の質問に、なんと、

「瞑想していました。」

とにっこり笑って、
つやつやで、ピカピカとしたお顔で答えておられたのを見て、
これから、抵抗勢力との議論が待っているというのに、
私は、なんと、肝が座っているのだろうか!
と思いました。

しかも、その表情が、まるで、鉄道の駅の名前を覚えてしまう、子供のような表情だった事が忘れられず、今でも印象深く、強烈に記憶に残っているのです。

私は、同じ選挙区だったからといって、もちろん全ての政策を肯定してはいませんが!!
ひとつだけ、郵政民営化の実現に関しては、
それは、小泉元総理のヴィジョンでもあり、
郵政大臣の任期中からの長期にわたるリソースだったのかもしれないな…。
と推理しているのです。

この、小泉元総理大臣への私の勝手な推理の話しはさて置き…、

一般的に、いわゆる、”common good” 「公共の善」をシンプルにやり遂げる時に、
(例えば、もう、天下りができないと困る人たちからの)抵抗勢力などに、
振り回されることは無くなるのではないかと思います。

個人のリソースとは、単に、個人にとって面白くて面白くてしょうがないことですが、
個人のリソースの根源は、大げさに言ってしまえば、
万物の中心軸で、最も静かな場所にある、創造の源泉なわけですから、
その源泉につながり続けることは、
いつか、誰かの為に、役に立てるということ。
なぜかというと、
この源泉につながる体験を実際にされたことがある方はご存知と思いますが、
この源泉は、愛と慈悲に満ちた場所なので、
いわゆる”common good” 「公共の善」をシンプルに成し遂げやすい状態を作るのだと思うのです。

逆に、天下りをしなければ、生きていけないと信じ込んでいる方々は、
やはり、完全に源泉から切り離されてしまっているのでしょう。
その状態は、不安と恐怖に満ちてしまう訳ですから、
必死に抵抗勢力にでもなり、公共の善を攻撃せざるを得ないのかもしれません。

一度、そちらの方向への努力をしてしまえば、愛と慈悲に満ちた源泉などには、恐ろしくて近寄ることができないでしょう。

しかし、人間の命とは、本来の愛と慈悲に満ちた源泉から発生してきているので、
残念ながら、どんなに逃げても、自分がもといた源泉からの慈悲を感じざるを得ないのです。

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日本は資源がない国です。

だからこそ、ひとりひとりのリソースの開発がとても大切だと思うのです。

横浜市の白楽に起こしいただける距離である、
神奈川、東京、埼玉などの首都圏にお住まいの
老若男女問わず、全ての方のリソースが開発されれば、

ときどき社会保険庁から送られてくる、「あなたの年金額のお知らせ」の年金額は、
ぞっとするような額ではなくなるかもしれません。
ぞっとする額で無い方は、さらに豊かな老後を送るために。

(東横線白楽駅まで、副都心線、東武東上線、西武線にアクセスしていますので、神奈川、東京、埼玉からも通勤快速で1時間前後で到着します!)

中満整体では、
世界でたった一人唯一の存在である、あなたのリソースが開花するのを
心から応援しています。

そして、あなたのリソースの開花は、
花の種を蒔き、花が咲くのを楽しみに待つようなワクワクとした気持ちがして、
それこそが、私のリソースなのです。

お問い合わせは、こちらから是非!

2014年8月24日日曜日

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスを図解する

実は最近、ある異業種の方に、
クラニオセイクラル・バイオダイナミクスとは、どのようなワークなのか、
ということを言葉だけで説明する
というかなりのチャレンジを試みました。

残念ながら、結果的に、その試みは見事に大失敗でした。
自分でも、びっくりする程の大失敗でした。

今日は、その失敗談から、
クラニオセイクラル・バイオダイナミクスを図解する
というテーマにたどり着きたいと思います。

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そもそも、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスとは何なのか?
ということを言葉だけを使って説明することは
非常に困難です。
というか、無理です。
それができるようだったら、
クラニオセイクラル・バイオダイナミクス通信講座
なんていうものがあってもおかしくないわけです。
(通信講座では100%クラニオセイクラル・バイオダイナミクスは習得できません!)

私は、無理を承知で、何を勘違いしたか、チャレンジしてしまったのです。
しかも、どうしても説明の必要があると思い込み、
できるんじゃないか!
為せば成るのではないか!
という楽観的、かつ希望的観測の元に、
勘違いは、さらに膨らんでいきました。

その勘違いは、おそらく、

① 昨年論文を協会に提出した際に、
クラスメイトや先生の前でプレゼンテーションした時、
十分に伝えられたという実感があった。
だから今回も出来るだろう!

②クラニオセイクラル・バイオダイナミクスにご興味を持って
お問い合せくださる方々にも、伝えられていると思っている。
だから今回も出来るだろう!

以上の2つの勘違いがベースにあったのだと思います。

しかし!!
よくよく考えてみると、
クラスメイトは同じトレーニングを受けているわけですし

お問い合せくださる方は
クラニオセイクラルのセッションを、これから受けるわけですから、

言葉以上の身体感覚を持って理解している。
または、これから身体感覚をもって理解する
という大きな基盤があったんですよね…。

そんな、とても肝心なこと、当たり前のことを忘れていました…。

いや、当たり前のことって、自覚できないものなんですね…。

今回、私がお伝えした方々は
特にクラニオセイクラル・バイオダイナミクスに
ご興味があるわけではないということと
今後セッションを受けるわけでは無かったということを考えても、
やはり言葉だけで伝えるのは、非常に困難である
ということをしみじみと実感したわけです。

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私のクライアントさんの中の一人で、
中満整体に初めていらしてから、約8ヶ月経つ方がいらっしゃるのですが、
最近、とても面白いことをおっしゃっていました。

中満整体公式HPに、このような説明文があります。

”こり”などの緊張している硬い部分があったとしても、
身体は必要があってその硬さを作り出しているので、
そこにアプローチをし、揉みほぐすなどは行いません。
身体の叡智は、準備が出来たときに、
ご自身の内側から、その硬さを作り出さなければならない要因をおのずと解放し、
根本的な治癒を引き起こすだけの潜在的な可能性を持っています。


その方は、もちろん、ウエブサイトでこの文章をお読み下さっていたと思いますし、
これまでのセッションでも度々、私は、このお話をしていました。
しかし、ある日、改めて、「この文章の意味が、よくわかりました。」
とおっしゃったのです。

つまり、ご自身がセッションを重ねて受けることで、
身体感覚を伴い、ようやく最近になって腑に落ちました、という意味で、
「よくわかりました。」とおっしゃってくださったのです。
腑に落ちてくださったとは、本当にありがたいことです。

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスの治癒のプロセスに
言葉はいらないです。
私は、そう信じています。

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスは、あまりに奥が深すぎて、
言語として、言っている意味がわかる程度のことでは、
深いところまでの理解には至ることができない。
つまり、腑に落ちることはないのだ
ということをしみじみと実感しました。

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さて、この辺で、本題に移ります。
じゃあ、言葉で説明できないなら、
もう、他に伝える方法は、無いのか?

いや、無いわけがないのです!
意地になって言っている訳ではないのです!

フランクリン・シルズ博士によって書かれた
「The polarity Process」という本に、
この奥の深いワークの真髄が、一眼見て解るかのように、
まさに、図解されていたことを
私は、思い出したのです!
ここに、添付の図を、ご紹介したいと思います。


〈対訳〉

The Macrocosmic Connections    大宇宙のつながり
Tao                                                    一番中心が、タオ
Yin-Yan                                     その外側にあるのが、陰と陽の極性
Five elements                              次が、五行の関係性
Manifestation                              一番外側が、一万もの物具現化された形、万物

この図の下にある説明文
Tao is the stillness at the heart of all manifestations. We tend to identify most with the outer layer of being and lose touch with the source of the whole, Tao. We get caught up in the periphery and lose touch with the center.

「道、タオは全ての具現化された存在の中心にあるスティルネスです。
私たちは最も外側の存在を認識しやすい傾向にあります。
そして、全体の中心、源泉である、道、タオへのつながりを失いがちでもあります。
私たちは、中心へのつながりを失い、その周辺の存在の中に取り込まれてしまっているのです。」

フランクリン・シルズ博士は、このように、大宇宙のつながりを図解しながら、
説明なさっています。
東洋人である私が、米国人である博士によって説明された東洋思想に
つくづく納得してしまいます。
道、タオは、言葉にならないといわれますが、
まさに言葉にすることなく、見事に図解されています。

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスとは、
この図解にあるように、
「見て形になっている万物から、最も静かな場所
スティルネスと呼ばれる静かな場所に向かうこと、
そして、その源泉である静かな場所から溢れ出す慈悲に身を委ねること。」

と表現することが出来るのではないでしょうか。
といいますか、正直、
もう、こう説明して、
この図をお見せする。
それ以外の、また、それ以上の説明は、
今のところ、思いつかないのです。

いかがでしょうか?
私のこの説明と図解で、
お読みくださるあなたに、何かが伝わっているでしょうか?

お読みくださってありがとうございました。
またのご訪問を心よりお待ちしております。

中満整体

2014年7月18日金曜日

対人恐怖症と日本文化 対人恐怖は日本の文化であり、調和を保つ美徳であった。

すっかり、夏真っ盛りですね。
横浜では、海水浴ができる海岸は、ほとんどありませんが、海水浴やプールまたはスイカ割りなど、夏を満喫していらっしゃいますか?

お久しぶりです。ひと月ぶりのブログになりますが、今回は、
対人恐怖症という日本文化について、書いてみたいと思います。

対人恐怖症といえば、一種の神経症であると認識されることが多いと思いますが、
実際、人が怖いという感情は、多かれ少なかれ、誰でも感じたことがあるのではないでしょうか?

今回、対人恐怖症という疾患について、お話しする中で、
また、いつもの理屈っぽさで、
中満整体として、どのように、生理学的な理解をし、どのようなメソッドで施術を行っているのか、またその臨床は・・・・
と、始まってしまうと、ここで、読むのをやめてしまわれてしまうと思うので、
今回は、日本文化という視点で、対人恐怖症を考えてみたいと思います。

そもそも、この話題を今回思い立ったのは、約20年くらい前に読んだ
ある本の内容を思い出したからです。

岸田秀という博士の本を初めて読んだのは、私がまだ東洋医学の世界に入る前でした。

ある友人に勧められて読んだ、「ものぐさ精神分析」は、とても難しい本だという印象がありましたが、
次に読んだ「幻想の未来」という本に、私は、完全に”ガツーン”とやられてしまいました。

まず、対人恐怖について、この本には、こう書いてあったのです。

『欧米人とくらべ、日本人は昔から対人恐怖が強かったと言えよう。
そもそも、日本人は話をしているとき、あまり相手の目をみない。』

『浮世絵に描かれている日本の伝統的美人は目があるかないかぐらいに細いが、
これは人の視線恐怖を刺激しないということが美人の条件であったからであろう。』

『日本人は恥を書くことを非常に恐れる。
江戸時代の借金の証文に、もし期日までに返済できなかった場合には、
「万座の中で恥をかかされても致し方なし」というのがあったそうである。』

私は重厚長大時代に生まれているので、
正直、浮世絵の女性が美人と言われる文化や、
江戸時代の借金の証文などの文化は、さっぱりわからないのですが、
目線や恥に対する感覚は、日本人として理解できると思いました。

そして、さらに、こう続きます。

『日本人は、自我の安定を他の人たちに支えられて保っているがゆえに、
対人恐怖が強いのである。
自我の安定が、人に自分がどう思われるかということにかかっていれば、
人が恐ろしくないわけがない。』

これもまた、納得できますねー。

そして、岸田氏の洞察は、これからが、すごいところなんですよ。

『欧米人の自我が他の人たちの支えをそれほど非有用としないのは、
何か別のものに支えられているからである。
何か別のものとは、言うまでもなく、神である』

人からの評判とか、人にどう思われているか、より、神によって支えられている?
一体どういうことか?

岸田氏はこう続けます。

『一神教の神は復讐欲、嫉妬心が強く、残酷な罰をくだす恐ろしい神である。』

以下、聖書からの引用文で、いかに神が恐ろしい復讐を企んでいるのかという文章が続いているのですが…

つまり、日本人が人にどう思われるかということを恐れるのと
同じように、欧米人は、神から罰をくだされるのを恐れているということが書かれています。
つまり欧米人は対人恐怖の文化ではなく、対神恐怖の文化であるということです。
原罪、生まれ持って罪を持っている考えや文化は、欧米からきたものではないでしょうか?

そして、ここから、岸田氏の洞察は、にわかに、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスの在り方に、近づいてきます。

『恐怖と恐怖症は違う。
恐怖が恐怖症になるのは、恐怖を感じる一方で、そのような恐怖は感じるべきではない。不合理だ、非現実的だ。馬鹿げているなどと思い始める時である。
恐怖、それ自体をおかしいと見ていないならば、恐怖症は成立しない。
恐怖症が成立する条件は、
ある対象に対する恐怖と、恐怖の葛藤である。』

いやー、参りました!
クラニオセイクラル・バイオダイナミクスにどんどん近づいています!

日本文化として、
公の場所で、恥をかくのが嫌だから、借金をきちんと返済しようとか、
悪いことすると、村八分にされてしまうので、
善良であろうとするなどのように、
人にどう思われるのか、
悪く思われるのは嫌だという思いが、ストッパーになって、
ある意味、世の中のモラルなどが守られていたわけです。
人様の目線や、評判を恐怖に感じるということのもたらした利点とも言えます。

じゃ、いつ、日本の文化は、
対人恐怖から、対人恐怖症になったのでしょうか?

岸田氏はこのように続けます。

日本人の自我が引き裂かれてしまったのは、まさに、
1853年7月に浦賀沖に黒船が来航した時に遡ることができると。

日本人が、当然のように、あたりまえだった対人恐怖が、
これでは不合理だ。このような恐怖を感じるべきではない。
というような葛藤をもつことになった、出来事だったと書かれています。

脱亜入欧の時代です。
欧米諸国を日本が所属すべき世界とし、日本を欧米化しようとした。
これまでの日本文化としてのあたりまえの恐怖は、
感じるべきことではないこと、つまり、恐怖症になってしまったのです。
これまでしてこなかった、パッチリと目を開けて、相手の目をみながらお話する
という事をし始めたはいいが、そこで感じる恐怖を、感じまいとしたわけです。

すなわち、恐怖症とは、恐怖を感じまい、
この恐怖は、不合理であるという感情に裏打ちされており、
拒絶、拒否、葛藤がないのなら、成立しないということになります。

対人恐怖症とは、
恐怖が問題なのではなく、恐怖を受け入れないということが問題なのです。
ここで、受け入れることの大切を改めて理解することができます。
恐怖そのものが、文化の一部で有った時は、
恐怖は、葛藤をすべきものではなかったのです。
つまり、対人恐怖は、広く社会で受け入れられていたのです。
同様に、個人の心の中でも受け入れられていたのです。

では、
対人恐怖症、のみならず、
視線恐怖症、赤面恐怖症、表情恐怖症、醜貌恐怖症などの
恐怖症の治癒のプロセスを考えた時に、

「恐怖を感じまいとするのではなく、受け入れるようにするといいよ。
葛藤が無くなると、恐怖症ではなく、ただの恐怖になるから。」

という言葉をかけて、

「そうか!それは、いいこと聞いた!じゃ、今からやってみる。」
「お!やっぱり考え方次第だな!治ったよ!」

となるでしょうか?

考え方を変えるという作業を意図的に行ってみるのは、
素晴らしいチャレンジですが、
よし、変えてやろう!!
として、なんとかして、変えてやろうとするより、
肉体のレベルで、そして意識のレベルで、内なる生命力が、おのずと、方向を向き直し、
おのずと、いらなくなった葛藤を手放して行く方が、
はるかに効率が良いです。

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスにおいて、
意図を使うことには、限界があるのです。
外側から変えることに限界があるとも言えます。
自分の意図は内側だ!と思われるかもしれませんが、
思考という意図は、大いなる智慧に比べると、わずかな効力しかありません。

脱亜入欧をした時代から国家レベルで、
つまり、日本人の集合意識として抱えてきていた対人恐怖を
不合理な恐怖として、感じるべきではない!
と思い続けてきたという葛藤があったのですから、
それを手放すためには、親から子の何世代にもわたる、
伝達された情報を、肉体の細胞レベルで、
また、世代間に伝わる意識のレベルで手放す必要があるのです。

つまり、総合的であって、大いなる智慧が、その葛藤を手放すのです。
総合的な大いなる智慧とも言えますし、
また、潜在的な健全さとも言えるでしょう。

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスは、発生学に深い関わり合いがあります。
人の発生や誕生のプロセスを考えた時に、その智慧や、健全さの偉大さを感じないわけにはいかず、畏怖の念すら覚えるのです。

自分のものであろうと、他人のものであろうと、思考に基づく意図は、この智慧や健全さの前にしたら、ただの無力なものでしかありません。

自らの葛藤を手放す事
そして、その知恵や、健全さを、サポートするのが、
クラニオセイクラル・バイオダイナミクスなのです。

これについての理論的な話をもっともっと書きたいのですが、書き始めると、また、理屈っぽい長文になってしまうのでやめておきます。

ご自身の内なる総合的で大いなる智慧、潜在的な健全さ。
体験してみたい方、ぜひ、中満整体HPより、お問い合わせくださいませ。
心よりお待ちしております。


2014年6月15日日曜日

オリジナルマトリックス 原初基盤① あなたは世界に一人しかいない。

だんだん夏らしい季節になってきましたね。
そろそろ花火大会の季節です。横浜の花火大会では、中満整体から少し歩いた山側に行くと花火が見えます。よかったら整体の帰りに花火見学はいかがですか?

久しぶりのブログのアップですが、以前にアップした記事を、読みやすく修正し、再度アップしました。
2013年7月くらいから10月にかけて卒業論文を集中的に書いていたので、以前のブログは、それにつられて、とても理屈っぽい文章になってしまっていましたね。
去年の後半、論文完成までは、気が狂うほど、毎日、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスとは、何なんだろう?
と、思いつめていましたもので・・・。

我ながら、読み返すのに苦労します。
2014年の初めの頃に書いた、オリジナルマトリックス・原初基盤についてのお話をなんとか読みやすく修正しましたので、どうか頑張って読んでくださいね。
私の昔話から、本題に入っています。

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私は、子供の頃から、人の真似をすることが大嫌いでした。

デザイン研究生だった頃は、特にひどく、

「コンテストに入賞できなくてもいい!仕事が決まらなくてもいい!しかし、それより何より、どれだけ自分が尊敬しているデザイナーであっても、真似る、パクルのだけは絶対に嫌だ!」

と思っていました。

そして、真似したくないという気持ちと同時に、絶対に、誰にも真似のできない自分自身の世界観を反映させた服作りができるデザイナーでありたいという目標も持っていました。
全く、若いとは素晴らしいですね(笑)お恥ずかしい限りです。

作品そのものをずばり同じ素材、色、形に真似をするのが嫌なのはもちろんのこと、一部を別の異なる表現に置き換えるパクリや、そのテーマ、コンセプトの側面からであっても、尊敬するデザイナーとであっても、類似したくはありませんでした。

特に、知名度があろうが無かろうが、デザイナーの名前や、ブランド名、ロゴが入った商品を持つのは、もっての他でした。

「私は私であって、私以外の誰でもない。」

こう思っていたのは、単に私が、生意気で、世間知らずの学生だったから、というだけではなく、

ファッションという一つの俗なる物の中に、未成熟ながらも、何かを探していたからなのかもしれません。

しかし、そんなに生意気なことを考えていたとしても、最終的には、とても尊敬しているデザイナーの作品を見て、感動しないわけがありません。
やはり、影響を受けるわけです。

そして、最終的には、目に見える、色や形の物理的なパクリではなく、そのコンセプトやその美学を私なりに理解しながら消化して、私自身の手から、また形として産み出すという作業をすることになるのです。その産み出された形は、元の形を完全に逸脱しており、それは、単純なるパクリではないのです。

なぜならば、そこには、表面的な形を越えて、共鳴、共感の元に、私というフィルターを通した再具現化が起きているからです。

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そんな生意気な私も、ファッションデザイナーとして、一企業にて働くことになりました。企業での新入社員1年生のころです。
ある日、先輩がパタンナーと呼ばれる型紙を作る専門の方に、売れ筋の商品を持っていき「これ、どんずばで抜いて!」とおっしゃったのを耳にしました。
耳慣れない表現でしたが、何のことだか、すぐにわかりました。
この売れ筋の商品の型紙を、くり抜くかのごとく、作って欲しいという意味です。
つまり、売り上げをとるために、同じ、または類似した商品を作るということです。

今となれば、売り上げは大切だと理解できます。企業デザイナーは、芸術家はありません。会社には予算があり、それを達成するための努力は給与を頂いているなら当然です。
しかし、私はついこの間まで、世間知らずの生意気な学生だったのです。
私は、こんなことをするために、デザイナーになったんじゃない。
そう思いながら、就職後、葛藤と共に、何をどうしたいのか、何が不満なのか。
混乱しながら、一つの見つけ出すことが出来ない探し物を、探し始めていたわけです。

真似、パクル事の現実的な例を、挙げるのであれば、たとえば、海外旅行でルイヴィトンやプラダなどの、大御所ブランドの模倣品を現地で購入し、それを持って入国しようとする。
それは、残念ながら犯罪になってしまいます。
関税法で、商標権を侵害する物品の輸入は犯罪と定められているのです。

企業も、自動車や家電からファッションまで、あらゆる分野において様々なブランドがあり、何らかのメッセージを発信していますが、独自のブランドアイディンティティを通した物作りではなく、他社の売れ筋をパクり、付け焼き刃のように目先の利益をもたらし続けたなら、ブランドイメージは、一貫性の無い何でも屋の状態に陥り、最終的には、利益をもたらさない可能性もあるので、人のふんどしで相撲をとるという歪んだ「型」へ代償は、大きいものとなると思います。

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思いおこせば、80年代は、アバンギャルドの時代でした。

当時 Yoji Yamamoto, COMME des GARÇONSの川久保玲, Issei Miyakeなど、日本人デザイナー達は、ヨーロッパ人の度肝を抜き、これまでのヨーロッパエレガンスの中に新たなる日本の美を持って、独自のポジションを築くことになったのでした。

デザイン研究生が、それに影響を受けないわけがありません。

前例の無いもの。それを打ち出してしまった。ヨーロッパの伝統が、びっくり仰天してしまったかのような時代です。
そのような時代背景もあり、私たち研究生たちは、型にはまりたくないという反発心を持っていたのです。
たとえばテーラードジャケットは、ある日突然生まれたわけではなく、歴史と共に、進化の果てにテーラードジャケットという一つの名称がうまれ、その名称から万人が理解できる共通の認識を持つことができるのです。それは、立派な伝統であり、ほぼ消えるこの無い文化の一部です。

しかし、なんといっても、アバンギャルドの時代です。

前例を打ち破り、新しいものを作りたい、前代未聞な物を生み出したいときているわけですから、伝統的なテーラードジャケットをどのように仕立てたら美しいだろう…。
当時の私にとっては、伝統(traditionalトラディショナル)保守(conservative コンサバティヴ)という言葉は、前例を打ち破ることが出来ない、単なるネガティブな言葉でしかありませんでした。

しかし、型破りを目指そうが、企業の利益のために、売れ筋商品をパクろうが、私は結局、子供の頃から探していた探し物を、結局みつける事はできませんでした。

私は、真似することや、伝統、保守を毛嫌いしながら、一体、何を探していたのでしょうか。

たどり着くことができなかった宿題を残したまま、その後、私は東洋医学の道へと進むことになりました。

そして、やがて、2002年を向かえ、宿題の答えを探し当てたかのごとく、私はようやく、クラニオセイクラルと出逢うことができたのです。

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クラニオセイクラルの学びの中で、 Original matrixオリジナル・マトリックス、原初基盤という言葉があります。

一見、難しいサイエンスの用語のように聞こえますが、私の理解をシンプルに書くならば、
「ひまわりの種から、朝顔が咲かないように、その命の固有の基盤がある。」
ということができるでしょう。

植物とおなじように、全て人類も、おそらくほぼ例外なく、全身に赤い血が流れて、酸素や栄養分が分配されるというような、機能的な意味での原初基盤があるでしょうし、

また、同じ民族でも、兄弟であっても、全く同じ顔をした人がいないように、その人それぞれに、唯一の原初基盤があるということもできます。

つまり、人それぞれは、唯一の存在であって、同じ人は一人もいないという言い方もできるでしょう。

primary respirationプライマリー・レスピレーション、原初の呼吸という言葉も以前の記事、原初の呼吸①にて、ご紹介しました。

私がヨガのポーズ、(アーサナ)をとるときに、古代人によって発見されたヨガのポーズを、私自身が、パクっているでしょうか?
答えは、バカバカしい程明らかにNoです。
私が、中国の国宝レベルの書家の作品を臨書して、原初の呼吸を感じているときに、私は、盗作しようとしているでしょうか?
答えは勿論Noです。

むしろ、これらの人類の財産である、ヨガ、臨書を通して、ある型に自分自身を当てはめ、それを何度も何度も繰り返すことによって、原初の呼吸につながることができるわけです。原初の呼吸とは、その名前の通り、もともと命が授かったときから始まっているものなのです。

つまり、原初の呼吸とは、原初基盤、オリジナルマトリックスに私を思い出させてくれるための、ゲートウェイなのです。

私が、デザイン研究生時代に、自分の作品に思いを込め、自分でありたいという願いをこめていたのなら、私は、どこか他にあるわけでもない、自分自身の原初基盤を探していたのかもしれません。
それを探すために、必死に作品を作っていたのでしょう。
いつか、原初基盤が目の前に現われると信じて。

まだ、自分自身がわからないからこそ、自分自身にこだわって、尊敬するデザイナーの真似をしたくないなどと躍起になっていたのかもしれません。

自分自身がわからないというより、自分自身を思い出せなかったという言い方のほうが正しいかもしれません。つまり、原初基盤とは、発生の段階、胎児にもなっていない段階で存在していたし、そのことをはっきりと思い出すことが出来なかったからこそ、探していたわけです。

尊敬するデザイナーの作品を自分の内側で消化し、そこから学び新たな創造が生まれる時、私は、尊敬するデザイナーの作品から、デザイナー自身の原初基盤へと想いを馳せていたのです。そこには、表面的なレベルでの作品のパクリを超えた、深い尊敬や共振、共感があります。

今となれば、様々な経験を通して、人は誰一人として、同じ人はいないというシンプルな事実を受け入れることが出来ます。同じ親から生まれても、性別や顔が違うように、命は、固有の原初基盤によって支えられています。

しかし、リソース資源①、リソース資源②でもご紹介しましたように、私たち人間は、ソースsource源泉からre離れてしまっている以上、それを時々思い出す必要があるのです。
それを思い出すために、型を何度も繰り返しながら、primary respirationプライマリー・レスピレーション、原初の呼吸とつながり、そして、自分という存在の原初基盤に近づくことが出来るのです。

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修正版をお読みくださってありがとうございました。
またのご訪問を心よりお待ちしております。

中満整体

2014年5月5日月曜日

女性の生き方とミッドライン ミッドライン③ すべての女性の幸せの責任者とは?

前回の、ミッドラインのお話に関連した内容ですが、
今回は、女性の生き方とミッドラインについて、すこし私の思いを書いてみたいと思います。

年齢は公開しませんが、私は昭和生まれです。
昭和から平成へと時代が変わり、世の中の状況や、価値観が変化していくにつれて、女性の生き方が多様化しているように思います。

かなり昔になってしまいますが、私が社会人になった頃は、平成でした。
しかし、当時、年功序列、終身雇用制は、まだ、まかり通っていました。
今はおそらく、崩壊しつつあるシステムだと思います。

数年前から「派遣切り」という言葉を聞くようになりましたが、派遣社員という契約で、就業するというスタイルは現在も定着し、正社員という枠に縛られないという発想をされる女性は少なくはないのではないでしょうか。

また、フィギュアスケートの安藤選手のように、未婚のまま出産をする女性も少なくなく、女性としての生き方は、公私共に多様化しているように思います。

私が子供の頃は、女性はクリスマスケーキと同様、24歳で最高値がつき、25歳になった途端、値が下がってしまうといわれていたそうです。
要するに、世間によって適齢期が定められ、自分自身の生き方における適齢期という観念が無かったのでしょう。
女性が、ある程度、世間によって、決められた生き方をしていた時代から、多様化の時代、つまり、悩んだり迷ったりしながら、自分自身の内側から納得のいく決断し、前に向かって生きていく時代へと変わってきていると思います。

私は、今の時代を生きる女性の一人として、やはり、ミッドラインの大切さを強く感じています。
多様化している時代だからこそ、自分に立脚して、自分の内側から答えを出す必要があるのではないでしょうか。世間によって決められた生き方が、すでに崩壊している現代だからこそ、内なるミッドラインを感じられることが、とても大切だと思うのです。

前回、「最も愛情深い人とは、自己中心的な人である。」という文章を引用しましたが、今回は、私の大好きな女優さんの一人、アンジェリーナ ・ジョリーさんのストーリーを挙げて、すこし、ミッドラインのお話をしたいと思います。

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私は、アンジェリーナさんの映画を、何作か観ていますが、
そのなかで、「GIA」では、アンジェリーナさんは、ハードドラックを常用しエイズに感染するファッションモデルの役を演じ、
また、「17歳のカルテ」では精神病院に入院しているボス的な存在のリサという役柄を演じておられます。
ともに、それらの映画での役柄は、実際のアンジェリーナさんの資質の一部なのではないかと思わせるほど、アンジェリーナさんそのものに、エキセントリックなイメージがありました。

しかし、アンジェリーナさんのイメージが、ガラリと変わったのは、「トゥームレイダー」という映画を撮影された後のことです。
撮影をおこなった現地、カンボジアで、アンジェリーナさんは、最初の養子、マドックス君を迎えています。
そして、現地カンボジアで経験したことをきっかけとして、現在のヒューマニタリアンの道を歩まれているのだそうです。

当時、アンジェリーナさんは、現在のパートナー、ブラッド・ピットさんではなく、ビリーさんという俳優さんと結婚をされていましたが、その後、ビリーさんと離婚され、シングルマザーとしてマドックス君を育てると決意されたそうです。
アンジェリーナさんは、離婚をされたときの心境を、このように語っておられます。

参考Web

“It took me by surprise, too, because overnight, we totally changed. I think one day we had just nothing in common. And it’s scary but…I think it can happen when you get involved and you don’t know yourself yet.”

「離婚は、突然のように襲ってきたの。一晩で、私たちは完全に変わってしまった。私は、ある日、私たちの間に共通することが何一つ無くなってしまったのだと思ったわ。怖いことなのだけれど、私は、もしあなたが、自分自身をまだ知らないうちにパートナーに関わるのだとしたのなら、離婚は起こりうると思うわ。」

私は、今から、約7年ほど前、コンビニに売っていた女性雑誌をパラリと立ち読みした瞬間に、この文章が目に飛び込んできたのでした。
もっと他にもアンジェリーナさんの印象的なお話しがありましたが、残念ながら雑誌は行方不明になってしまいました。

「若い頃に味わったたくさんの痛みは、今の私になるために必要だった。」
「これまでの映画で、自分は役より、劣っていると思っていた。」
というような内容だったのを覚えています。

アンジェリーナさんの表情や顔つきは、同一人物とは思えないくらい、マドックス君を迎えた後にかわっています。
マドックス君との関係はこれまで経験したことの無いもので、
マドックス君との関係性によって、ソフトで感受性のある女性になることができたともおっしゃっています。

私は、その後の、母性に満ち溢れ、しかも、親善大使として活躍され、実際に、アフリカ、中東と現地に渡り、最善を尽くされているアンジェリーナさんをとても尊敬しています。
容姿端麗なだけの、ただのお飾りの女優ではありません。

自分自身を知るとありますが、マドックス君を迎えることで、マドックス君を鏡として、アンジェリーナさんは、内なる自分を知ったのではないでしょうか。
自分自身を知ること。
自分自身に気がつくこと。
もしかしたら、それは、アンジェリーナさんが言うように、一晩で完全に変わってしまうようなことすら起こり得ると考えられます。

私は、もちろん、アンジェリーナさんにお会いしたことはありませんが、アンジェリーナさんのこれまでの痛みは、最高の自己、最も愛情深い中心軸、ミッドラインに統合されたのではないかと思えるのです。

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私は、セラピストとして、また、人として、
現代の多様化している時代を生きているからこそ、
自分の中心から、自分の決断や、選択をしたいと思うのです。
そこには、たくさんの自由がありますが、
自由と同時に、責任があります。
つまり、自分の中心からずれた、恐れや不安からの決断をしたのであれば、
その結果は残念ながら自分に返ってくると思っています。

さまざまな選択肢がある時代だからこそ、私は、その中で迷い悩んだこともあったかもしれません。時に苦渋の決断をしたこともあったでしょう。

しかし、どんな時代、どんな状況であったとしても、
自分のミッドライン、中心から、決断や選択をしたいと思っています。

自分の中心軸、ミッドラインに統合される。
そして、自分自身を知る。自分自身に気がつく。

それらは、知的な作業としての自分を知るということではなく、
細胞やシステムなどの、生きている肉体の存在を通して、
たとえば押し寄せる恐怖や怒り、悲しみに奪われそうになっても、
全て、まず、今の自分そのものを丸ごと受け入れて、覚めた意識のまま気がつくことができるということなのです。
不活性な支点でさえ、受容もとに変容をむかえることができるのです。

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスは、恐れや不安からくる、ミッドラインから外れたエネルギーを解放し、手放すことをサポートします。

もし、あなたが、選択のとき、または、決断のときにおられるのなら、
クラニオセイクラル・バイオダイナミクスのセッションがサポートになります。
ご自身の内側から、ご自身のミッドラインから必要な答えを得られるでしょう。

5月10日土曜日
春のキャンペーン好評につき、臨時オープンいたします。
まだ、枠に若干の空きがありますので、もし、ご興味をもたれましたら、ぜひ、お気軽に中満整体公式HPから、ご連絡、お問い合わせください。
お会いできるのを楽しみにしています。

中満整体

2014年5月1日木曜日

最も愛情深い人間とは、自己中心的な人間である。ミッドライン②

今日は、以前にもお話しました、ミッドライン、中心軸に関してのお話をしたいと思います。

1980年代後半に話題になった本で「神との対話①」というおもしろい本がありました。
この本は、ニール・ドナルド・ウォルシュさんという米国人の方によって執筆されています。

そのなかの一説でちょっとインパクトがあり忘れられない文章があったので、ここに引用してみます。

「最も愛情深い人間とは、もっとも自己中心的な人間だ。」 p168

「「自己中心的なもの人、幸いあれ、なぜなら神を知るからである」と言っても、けっして、極端な教えではない。自分自身の最も気高い部分を知るということ、そして、そこにとどまるということは、立派な人生の目的だ。」 p170

とありますが、ちょっとインパクトがある文章です。

先日、この「自己中心的な人間」は、オリジナルの英語版で、self-centered personと書かれているのを、こちらのウエブサイトで発見しました。

私は自己中心的な人とは、おそらく、
Selfishと書かれているだろうな?と思ったら、そうではありませんでした。
Selfishな人の私のイメージは、なんとなく、聞き分けの無い我がままをいって、周りを困らせているような感じがします。
また、egocentric personという言い方もありますが、なんだか、こっちのほうが、たちが悪い感じしますねー。単なるエゴというよりは、エゴを中心軸にして生きているという意味ですからねー。

しかし、Self-centered person 自己中心的な人
とは、自己の中心に軸をもつ人間と日本語に置き換えられるではありませんか!
バイオダイナミック・クラニオセイクラル・セラピストの私にしてみれば、
自分自身の内側に軸を持つとは、ご自身のミッドラインをしっかりともつ、存在感のあるとっても素敵な人のように思えます。
決して、よく言われるような、「自己チュー」とは思えません。

私の卒業した学校でのクラニオセイクラル・バイオダイナミクスの授業の中で、
ある時期、ミッドラインについて学びます。
来る日も、来る日も、ミッドラインです。
発生学からはじまり、かなり徹底的にミッドラインについて学ぶのです。
以前にもミッドライン①にてお伝えしましたが、ミッドラインとは、
単なる、背骨のような、構造的な中心の線という意味のみではありません。

ミッドラインは、胎児にもなっていない、胚子に頃から存在し、
なおかつ、地球の引力ととても深い関係があります。
地球の引力がないと、原始線条というミッドラインの原型となる溝が形成されない、つまり、人間として発育できないと言われているのです。

両足を大地に踏みしめて、大地のエネルギーと共に、まっすぐ立てる人は、きっと、お天道様ともつながっています。
そんな人は、きっと、愛情深いでしょう。
引用文のように、自分自身の最も気高い部分や、神を知るのかもしれません。

私は、バイオダイナミック・クラニオセイクラル・セラピストでもありますが、
ヨガの勉強もしています。(まったく初心者レベルですが)
まっすぐに、自分の中心、ミッドラインから立つことができると、自然に天と大地に
支えられて、難易度の高い(私にとっては)バランスのポーズをとりながら、くつろぐことが出来ます。

ミッドラインとは、構造的には、支点となって、体の各部位を支えています。
しかし、ミッドライン以外の場所に、不活性な支点が出来てしまうことがあります。
私のように、打撃だらけの人生だと、不活性な支点をたくさん持っていることがあります。

不活性な支点を中心にして生きてしまうと、もしかしたら、egocentric personのように、エゴを中心軸とした生き方になってしまうのかもしれません。
self-centered personが、ミッドラインという、自分自身の中心、本来の自分自身を生きるということ、に対し、egocentric personは、逆に、恐れや怒りで、自分自身を生きることが出来ないでしょう。

私は、打撃の痕跡である、不活性な支点からのエネルギーで生きることの限界を、身をもって体験しました。
中心軸から外れた支点に、愛情深さはないでしょう。
むしろ、もともと中心軸にあった愛情が裏返ってしまって、恐れが多いかもしれません。
恐れからのエネルギーで生きること自体、枯渇していくのと同じことです。
当然、自身自身の最も気高い部分を見失っています。

しかし、その不活性な支点は、セッションを通じて、
本来、人が持っていた中心軸、ミッドラインへと、帰還することができます。
恐れは、また、裏返って、本来の愛情へと変換されるのです。

不活性な支点のエネルギーが、本来のミッドラインに帰るとき、
離れ離れになった不活性なエネルギーは統合されるのです。
そして、「神との対話」からの引用文にもあるように、その統合された気高い自分自身にとどまるということは、立派な人生の目的になるなのかもしれません。

しかし、打撃を受けたことの無い人間なんて、一人もいないのではないでしょうか?
本来の自分を見失って、また、本来の自分を取り戻す。
人は、この連続性の中で生きているともいえると思っています。

自分自身を取り戻す時、
もっと、深く、意識的に、自分自身をもう一度選択するような、
忘れていた本来の自分ともう一度出会うような、
そんな、感覚を得ることができます。
そして、それは、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスの
おだやかでありながら、ご自身の存在へとしっかりとつながることができる
セッションの恩恵なのです。

春のキャンペーン好評につき、5月10日土曜日臨時開業いたします。
10時、13時、16時、19時の4枠追加いたします。
中満整体公式HPより、ご連絡をお待ちしております。

中満整体

2014年4月24日木曜日

打撃の後にはクラニオセクラルを!怪我、打身、捻挫、骨折、打撲など、物理的な打撃やショックの後に

打撃。
打撃といってしまいましたが、
もっと、より、丁寧にいうと、怪我、打身、捻挫、骨折、打撲など、物理的な打撃やショックの後に、クラニオセイクラルをお勧めします。

とは、いっても、直後ではありません!
物理的な打撃やショックの直後には、まず、

救急車を呼ぶ!
お医者様の適切な処置を受ける!
必要な検査を受ける!

これらが、とても重要であることは、言うまでもありません!
流血したままセッションをすることは、絶対にありません!

しかし、適切な処置を施していただいて、落ち着いた後には、
クラニオセイクラルのセッションをお勧めします。

といいますのは、
物理的な打撃とは、脳脊髄液に影響を及ぼしていることが考えられるからです。
さらに、精神的なショック、打撃も身体のシステムに影響を及ぼしていると考えられます。

脳脊髄液とは、脳や中枢神経全体を覆っている、いわば、クッションのような役目を果たしています。
つまり、脳や中枢神経は、この脳脊髄液に包まれて浮かんでいるという言い方もできます。
脳脊髄液は脳や中枢神経にまで、打撃の影響を及ぼさないように、そのショックを受け止めて脳や中枢神経を守るのです。
と言うことは、その結果、脳脊髄液は、打撃の痕跡を残し、その循環がスムーズではなくなってしまうケースが多々あるのです。

脳脊髄液の流れを回復し、その循環をスムーズにさせることは、とても大切なことです。

実は、クラニオセイクラルに出会うまでの私の人生は、
打撃に始まり、さらには打撃の連続でした。
まさに、脳脊髄液の打撃の痕跡は、広がる一方でした。
打撃の痕跡は、新しい打撃を引き付けるのです。
どうやって、引き付けるのかは、またの機会にお話します。

セラピストになる数年前に、
まずは、階段で滑って、お尻の真ん中で、背骨の一番下の"仙骨"と言う骨を強打しています。

そして、なんと尾骨を強打しています。

ある日、お仕事で、高いところにある物を数えなければならないことがあり、
近くにあった、背もたれが取れて壊れているパイプ椅子の上に立ち、物を数えました。
そして、その数を書くために、しゃがみました。
すると、なんと、運命的にも、
私の尾骨は、その背もたれがとれたパイプの先にぶつかり、強打したのでした!

それ以来、私は、おかげさまで、尾骨がどれだけ大切な骨なのかを身を持って理解できるようになりました。

動物が尻尾でバランスをとっているように、人間も尾骨でバランスをとっています。
ここに打撃の痕跡があるとバランスが取りにくくなります。

打撃の衝撃波は脳を含む中枢神経に影響を及ぼしている事もあり、
私は、その後、腰痛、ぎっくり腰、椎間板ヘルニアなどたくさんの不調を経験しました。
当時まだ私は、セラピストではありませんでしたが、
この打撃だらけの人生が、私をクラニオセイクラルに出会わせてくれたように思います。

私は、クラニオセイクラルに出逢う前に、東洋医学にも出逢っていますが、それだけでは、私の経験において、この、脳脊髄液に残された、打撃の痕跡を解消するに至らなかったのでした。(不可能と言う意味ではありません。)

しかし、このクラニオセイクラル、頭蓋仙骨療法において、物理的な衝撃は、とってもスムーズに解消されるのです。
クラニオセイクラルに出逢ってから、私の人生は、打撃の人生から、解放の人生へと変化しました。

物理的な打撃を受けた後、慢性的に痛みを感じ、痛み止めのお薬が手放せなくなっておられる方、
慢性的な腰痛で、コルセットが手放せなくなっておられる方。
ぜひ、クラニオセイクラル、頭蓋仙骨療法を受けてみてください。

特に、クラニオセイクラル、頭蓋仙骨療法のなかでも、
バイオダイナミクスというアプローチは、
とてもお体に負担の無い施術です。
お体に優しいけれども、とっても深いところまでアプローチできるクラニオセイクラルです。
体を無理やり矯正するような施術ではありません。
施術を受けるかたのシステムが、自ら、自然に、衝撃の痕跡を手放すのをサポートします。

4月29日 昭和の日 祝日
5月3日 土曜日

まだ、ご予約に空きがあります。
春のキャンペーンもあと1ヶ月となりました
ぜひ、中満整体公式ウエブサイトより、ご連絡くださいませ。
ゴールデンウイークは、日頃頑張ってくれている、ご自分のお体のメンテナンスとご褒美に、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスを!

中満整体

2014年3月21日金曜日

☆春のキャンペーン実施中☆

先月に大雪が降ったとは思えないほど、暖かい日差しに春の訪れを感じる今日この頃、
いかがお過ごしでしょうか?

桜の花のつぼみもふくらみ花開いていく暖かい春がやってきました。
お体も、冬の寒さから身を守る状態から、朗らかに開いていくようにも感じられる春です。

春到来にちなんで、中満整体では、5月末まで、春のキャンペーンを実施いたします!

クラニオセイクラル(頭蓋仙骨療法)は、約10年前に比べると、かなりセラピストの数も多くなってきており、選べる時代になってきておりますが、それでも、まだ、施術を受けたことのない方はたくさんいらっしゃると思います。

今回は、なんと、クラニオセイクラル(頭蓋仙骨療法)に興味のある方、どのような療法か体験して見たい方、そして、数ある整体院の中から中満整体をお選びいただきました方に、

15分間2000円のオプション整体をクラニオセイクラルのコースの前に、無料にてサービスさせていただきます。

オプション整体は、身体の表面の緊張をほぐし、緩めることで、クラニオセイクラルを受ける適切な準備へと導き、よりクラニオセイクラルによる深いリラクゼーションを体験していただけます。

☆コースの詳細はこちらです☆

90分クラニオセイクラル(インタビュー含む)8000円
15分オプション整体2000円(無料サービス!)
合計105分通常価格10000円を、8000円にて承ります。

60分クラニオセイクラル(インタビュー含む)6000円
15分オプション整体2000円(無料サービス!)
合計75分通常価格8000円を、6000円にて承ります。

期間中は、以前に ご来院下さったことのある方にも一回体験価格にて承ります。

この機会を是非ご利用ください。
ご連絡をお待ちしております。

☆オプション整体について☆

オプション整体とは、中満整体のセラピストであります私が、クラニオセイクラルに出会うまで試行錯誤した全てのワークのエッセンスが凝縮されている整体です。

外側から、触れられる身体とは、限定されています。

オプション整体は着衣のまま行うのですが、
アプローチが出来る部位とは、たとえば、皮膚、骨、筋肉、筋膜、靭帯、リンパ管、リンパ節、血管、消化器官等々と、とても限られています。

しかし、それでもやっぱり、外側から緩めながら、スムーズに緊張をほぐすことができるワークの手法をとりれることはリラクゼーションのために、とても有効だと実感しています!
ほぐして、緩めるのは、必要があって硬さを作り出している〝こり"のようなものを無理やり揉みほぐすことではありません。

お一人お一人個人差はありますが、
外側から緩めるのに適切な必要最低限の時間は、15分だと思っています。
気持ちいいな、ほっとするな、と感じ、ゆったりとくつろぐことができる状態にたどり着くための時間です。

そこから先は、やっぱり、クラニオセイクラル(頭蓋仙骨療法)に切り替えていったほうがより、全体的、総合的なヒーリングのためには、良いと実感しております。

クラニオセイクラルで、クライアントさまご自身が、内側の深いご自身の生命力につながって、ご自身の健全さから、いわゆる不活性さを解き放つことが出来る。これが何よりの癒しです。

オプション整体とは、そこに導くための、橋渡しのようなものです。

ぜひ、オプション整体無料期間中にクラニオセイクラルをお試しください。
ご連絡をお待ちしております。

当方への連絡先、営業時間などの詳細は中満整体HPでもご確認いただけます。

中満整体